ところが、この間の第二回目の「武智歌舞伎」で驚いた。(みわ註:50年5月、同じく文楽座での公演。「妹背山道行」求女、「俊寛」千鳥、「勧進帳」四天王を演じた)「妹背の道行」での莚蔵君の求女が甚だ優秀なのに驚いたのである。その優秀さについては本誌「幕間」の六月号で触れておいたから、ここでは繰り返さないつもりだが、それにしても、例えば最初の「星の光に顔と顔」で橘姫を敬うように右手を出した色気、「どんあ仰せもそむくまい」で下手を指さした情味、それに段切れの「帰るところはいずくぞと」で仆れているお三輪の上をハッと飛び越えるマとイキのよさなど、この求女の立派なのには、いささか不意打ちを喰った。全く予期していなかっただけに、なおさら感銘が深かった。

この間も、その「幕間」の僕の劇評を読んだ友人から「手放しで惚気てるね。そんなによかった?」と反問されたので「あの劇評は、むしろ、まだ褒め足りないよ」と答えてやった。実際、僕の劇評からすると、今度の「武智歌舞伎」では、この莚蔵の求女が唯一の収穫だった。「勧進帳」といえど、さして採り立てるほどのものでなかったし、「俊寛」は例によって例のとおり武智式ドグマの強要で、僕としては多くの疑問を残したし、ひとり、この「妹背の道行」のみが結構だった。

聞くところによると、この一幕は井上八千代さん一人の担当で、これには武智氏も介在してなかったそうだから、皮肉にいうと、この一幕は「武智歌舞伎」にして、然も武智氏の介在せざりしところに成功のカギがあった。そんな逆説さえ成り立つと思うんだが、いづれにしても、この「道行」の演技面での成功は、莚蔵の求女がスッカリ浚ってしまったと、僕はいいたい。

僕は、この「道行」を初日と三日目と二回見物した。その初日の廊下で蓑助君に会った時、莚蔵の求女を激賞して「一体、莚蔵ッて、どんな子供?」と興のおもむくままにに問うてみると「平常は、どこやら釘の一本抜けてるような、どちらかといえば、ノンビリ型で、トボけてるんですが、そのくせ、何か自分自身に納得のゆかぬことでもあると、急に僕や武智君にさえ喰ってかかるんですよ。妙にそんな情熱はあるんですね」といった意味の人物評をしてくれた。

僕はなるほどと肯いた。社の応接室での初対面の時、あまり口も利かず、キョトンと抜けたような顔つきで(失礼御免)控えていた莚蔵君。特に、前述したとおり、少し猫背でないかと思わせる肩先の野暮ったい感じに、蓑助君のいうノンビリ型の傾向が、たしかに見えていた。そして、それが役者らしい気取りや羞かみのないウブな愚直さ(再び失礼)を思わせると同時に、どっか人を喰った感じでもあった。

すなわち、蓑助君の観察と僕の第一印象との間には、明らかに70パーセント程度の近似点はありそうだ。僕は、莚蔵という子供役者の性格が、一応これで読み取れたような気がしたのである。