仲良しライバル錦ちゃんを語る

今度は負けられぬ野球試合

 錦之助君も私も、大へん野球がすきで、お互いに野球チームをもっています。彼の方はその名を“錦之助ゴールデンズ”といい、私の方は“雷蔵サンダース”といいます。それぞれお互いの名前をもじってつけたチーム・ネームですが、撮影の合間をみては、時々両軍の試合もやってみました。確か私の方が負け越していると思いますが、何れそのうちに取りかえしてみせるつもりです。

 二人の野球歴は、随分古く、まだお互いに歌舞伎の世界にいたころからです。最初は舞台の控室で、幕間にタバコの銀紙をまるめてボールをつくり、それを着物をかけるエモン竹で打ち合ったりしながら出発しました。そのうち歌舞伎座の屋上に上って、劇場の従業員たちが昼食休みに打ち興じるキャッチボールの仲間に入れてもらったときは、二人とも大喜びでした。その時、球がそれて喫茶室のガラスを壊し、大目玉を喰らったのを今でも憶えています。

 そうこうするうちに菊五郎劇団と関西歌舞伎の連中で対抗試合をするようになり、二人はそれぞれ代表として出場しましたが、浜町のグランドを借りたり、またある時は大阪球場を借りたものの時間の関係で、八時開始という早朝試合をしたこともありました。いまでも思い出すのは、いよいよ試合の前日というのにユニフォームがなくて、千本土地チームから借受けることになりましたが、それが大へん汗クサク、あわてて洗濯屋を呼び、大急ぎでクリーニングさせましたが、当日になって、まだアイロンの余熱であついのを我慢して試合に出たなどということもありました。思えば、いまそれぞれ二人の名前を冠した別々のチームを作って、対抗試合をするなど、まさに隔世の感がないでもありません。

 私が撮影所の現場の若い人たちを集めてチームを作ったのは昨年でしたが、チーム結成の最大の目的は、その時すでにチームを持っていた、錦之助君と一緒に試合がしてみたかったからに他なりません。彼は投手をやったり、一塁手として出たりしていますが、私はもっぱらベンチにいて、全軍を叱咤激励する監督兼オーナーの役をつとめる方が多いようです。というのは、野球は大好きでも、プレイする方は余りうまくないからという理由です。でもオールスター戦などにも出場して、ロングヒットをかっ飛ばしたこともしばしばありますから、まんざら捨てたものでもないと自負している次第です。

 野球の話というと馬鹿に力が入って、随分長くなりましたが、ついでにつけ加えますと、彼は大のジャイアンツ・ファンであるの対し、私はタイガースの大ファンです。二人が日本のプロ野球を代表する巨人と阪神にそれぞれ分かれたということも、何か不思議な因縁という外はありません。