仲良しライバル錦ちゃんを語る

人はライバルと云いますが・・・

 そのほか、はからずも今年、私が『炎上』でブルー・リボン男優主演賞をもらった時も、彼は『一心太助・天下の一大事』で同じブルー・リボン賞の大衆賞を獲得しました。

 それ以来、この二人はジャーナリズムでもことごとに対照的に扱われてきたようです。評論家の中には、彼のことを“硬派”と称し、私のことを“軟派”だと呼ぶ人もありました。ことごと左様に比較対照されてきた二人は私が大阪、京都という、いわゆる上方育ちであるのに対して、彼はちゃきちゃきの江戸っ子であるという、土地柄における根本的な違いをもって生れてきたということにも、大きな原因があるのではないかと思います。

 とにかく、二人とも余り賢くない同士で、お互いこれまた余り賢くないと思っているという有様ですが、この互いに賢くない同士が、会えば、必ずといっていい位気が合うから不思議です。ただ違う点は、彼はすぐ怒るが、私は全然怒らない方なのです。だから私は、彼をいくらでも怒らせて面白がっているというわけです。こういえば、彼はこれを読んで、必ず次に会った時に怒り出すに違いありません。

 さて、いよいよ本題の“信長”のはなしに移らなければいけませんが、私はこのごろ注文に応じるために一日東映のセットをたずね、撮影の状態をみてみましたが、その日は、ちょうど濃姫の香川京子さんとのお芝居があるところでした。この日錦之助君はなかなかきれいな“信長”に扮していましたが、シーンは、斎藤道三に会って、今までの暴れん坊から無智の仮面を脱ぎ去り、本来の武将らしい信長にかえったところで、濃姫から荒縄で腰をしばり、果物を頭からかじっていた昔のあなたの方が、いかにもあなたらしいといわれ、信長がさらに濃姫と話し合って行くうちに、濃姫が改めて信長を見直すという大へんな芝居場でした。

 この時の錦之助君は、大へん赤い顔をしていましたが、私が自分のマユ毛の間に熊の毛を植え込んでいったのに反して、彼は別のマユ毛を貼っていたのが、同じ信長でも多少違っていたようです。

 無智蒙昧の如くいわれた信長は、実は戦国の動乱期における、一人の進歩的な、しかも先見の明るささえ備えたエネルギッシュな青年でした。転換期における傑出した偉大な英雄は、凡人には無智とも見え、馬鹿とも思えたに違いありません。演技的にもこの辺りの転換が大へん頭を悩ませるところではないかと思っています。