仲良しライバル錦ちゃんを語る

錦之助君の堂々たる挑戦

 セットの合間での立ち話では彼は、桶狭間の合戦場面で、「馬から落ちてウマク行かなかった」などとしゃれでもないことを云っていましたが、時代劇における最大唯一のスピード感は、馬に求めるよりはほかにないわけですが、ワイド画面で集団的に馬を扱うことが、日本映画の現状では、いかに難しいかを語り合いました。

 これは私も全く同感で、私のときにも、桶狭間の雨中シーンを大へんな苦労をして撮りながら、結局駄馬しかいないという現状からどうすることも出来ず、この場面をカットして上映したということがありましたが、たくさんの馬を撮影に使えるように仕込むということの難しさと、これに伴う日数や製作費の問題で、日本の時代劇におけるスペクタクル場面の限界をお互いになげきながら別れてきました。

 “信長”といえば、私はこの映画の一カット五分十八秒という、長いカットでまとめるか、細かいカットをつみ重ねて行くかは、全く演出家のプランによって、違ってくるのですが、この映画の監督だった森一生さんは、舞台的な演出を試みていらしたため、全体を通じて比較的長いカットを要求していたようです。しかも平手政秀(錦之助君の映画では月形竜之介さんがおやりになっている役です)の自害場面は、そのうちでも最高でしたが、一シーンを一カットで、しかも五分何十秒という大へんなものです。自分でもセリフをトチらないのが精一杯。まさに無我夢中でしたが、こういう長いカットはテストを繰返したから、うまくやれるというものではありません。テストが多くなるとそれだけ疲れが出て、かえってNGの可能性も出てくるものです。簡単に二、三回動きを合せただけで、いわばブッツケ本番も同然でしたが、一回でOKになったものの、“カット”の声をきいた時には、さすがにグッタリ疲労を感じました。おかげでこの日はこの一カットだけで一日の撮影予定を終え、午前中で“お疲れ”になったことを記憶しています。

 大分余談が長くなったようですが、ここまで書いてきて、今年の春、二人で信長対談をしたときのことを思い出しました。私はたしか錦之助君に「君が信長をやるのはもういやだというような、手も足も出なくなる信長のお手本をひと足先に僕がやるからね」といったつもりだったが、彼は、またしてもこの度、正々堂々と挑戦してきたようです。

 そういえば、彼はついさきほど『浪花の恋の物語』という題名で、近松の“梅川忠兵衛”をさっさとやってしまったようですが、私もこれを拝見し、錦之助君のこれまでにない色気を感じ、その好演に拍手を惜しまない一人ですが、彼と同じころやる予定だった私の『好色一代男』の世之介は、新聞紙上に、あたかも信長の競作のときのごとく書いていただきながら、会社の都合で、ついに来年まで延期されてしまいました。錦之助君が“信長”で正々堂々と勝負を挑んできたからには、私としても、来年の『好色一代男』こそ彼の『浪花の恋の物語』に負けないだけの立派な作品に仕上げたいと、いまさらのように激しいファイトを感じるわけです。

 私の持論としては、私たち歌舞伎出身の映画人は、歌舞伎におけるよき題材を選び、これを立派にスクリーンに移して、歌舞伎を知らない人たちにも、その素材の優秀さと面白さを知ってもらうという責任と義務があるのではないかということです。また逆にいえば、日本映画における歌舞伎の映画化という仕事は、私たち歌舞伎出身でなければ出来ない分野ではないかとも思っています。従って、このことはただ私のみならず、錦之助君や橋蔵君にも共通した課題として協力しながら、押し進めていかなければなりません。その意味に於いても、錦之助君と私は切っても切れない因縁浅からぬものがあるわけです。

 この因縁に結ばれた我々は、今後も手を取ってより良い仕事を求めて励みたいと思います。

(別冊近代映画 風雲児織田信長 特集号より)