現在と明日の夢



山本 人間で思い出したけれど、私も最初はこういう職業に入って、人に顔を知られてくると、人並みなよろこびから、遮断されたような形でおちおち街でお買物も出来ないことが悲しかったり、次々とお仕事があってゆっくり休養するひまのない忙しさをなげいたりしていましたが、近ごろでは、それはそれなりに満足するようになりました。

雷蔵 そうですね。ぼくも一時憤慨したことがありましたがね。こういう仕事で、また、あまり忙がしくなくても困るわけだし・・・。

山本 そうなの。こうなればいい、ああなればいい、といたずらに夢ばかり追ってないで現実の範囲内で、どうすれば一番倖せになれるかということを考えるようになりましたの。仕事に徹する時は仕事に徹し、生活に徹する時は生活に・・・と。

雷蔵 適当に満足しているというわけですね。

山本 ええ、まア、欲を云えば、アメリカのように、土曜、日曜が休みというほどでなくても、せめてビジネス・ガールなみに、日曜でけでもキチンと休めるようになったら、いろいろと、予定を組むことが出来て、さぞいいだろうなと思いますわ。これは、広く日本映画全体の問題だけれど、もっと俳優の人間性を認めてほしい、もっと近代性をもってほしいですね。こういうことについては、雷蔵さんなんかもっと、大いに発言していただきたいわ。

雷蔵 ぼくなんかも『ぼんち』撮影に入って足かけ三ヶ月、ほとんど毎日、朝起きて新聞とファンレターを読むとすぐ撮影所へ行って、夜の九時か十時、時によると翌朝の午前までという仕事で、私生活というものが、ほとんどないみたいなものでしたがね。まあ、これが日本映画の現状ですな。

山本 ちょっと悲しいわね。

雷蔵 ぼくが若し将来に映画事業でもやることになったら、一番に着手したいのは、その映画事業の体質改善ということですね。なるほど、現在日本映画界は、器材にしても、俳優さん、監督さん、素材、シナリオなど、すねて年々新しくなっているようだけど、それはあくまでお客さんに見える面の現象だけであって、その作り方ということにおいては、先輩たちに聞くと、三十年前と少しも変っていないらしい。それが、いまや映画というものが、近代産業という色彩を失いつつあ
る一番の原因だとぼくは思うな。だから、ぼくならばいろんな意味において、まずその近代化から手をつけて行きたいですね。

山本 そしたら、私も雷蔵プロへ一番に馳せ参じますわ(笑)

雷蔵 どうも有難う(笑) ギャラをはずみますよ。

山本 あら、ホント?(笑)

雷蔵 ホントですとも。

山本 ウソでも嬉しいわ(笑)

雷蔵 いやに疑りぶかいんだなア・・・(笑)

山本 今日はエイプリルフールじゃないのよ(笑)

雷蔵 そんなこと、ちゃんと知ってます

山本 どうも今日は珍らしく、あまり「云い合い」はしなかったようね。

雷蔵 意見の一致を見た事、大変よろこぶべきことです。

山本 やはり、お互いに大人になったのね。

雷蔵 そうそう、ますます、同感ですな(笑)

(昭和35年別冊「近代映画」5月下旬号“大江山酒天童子特集号”より)