56年3月発行『平凡スタア★グラフ・市川雷蔵集』より
雷蔵さんの略歴
(本名)太 田 吉 哉(おおた きちや) 生年月日 昭和六年八月二十九日
(出生地)京都市中京区西木屋町
(本籍地)大阪市南区竹屋町十七
(現住所)京都市上京区大将軍西町三一
学 歴
昭和十三年四月 大阪桃ケ岡小学校入学
同 十九年三月 同校卒業
同 十九年四月 大阪市天王寺中学入学
同 二十二年三月 同校三年中退
芸 歴
昭和二十一年十一月 関西歌舞伎に市川筵蔵の芸名で初舞台を踏む
同 二十六年六月 関西歌舞伎の大御所市川寿海へ養子入籍
同 二十六年六月 八代目市川雷蔵を襲名
同 二十九年七月 大映入社『花の白虎隊』でデビュー
同 三十年十月 『新平家物語』に主演
『四つの名前』
生まれ落ちると僅か二ヶ月にして亀崎家へ貰われていったぼくは亀崎嘉男として人生のスタートをきりました。おやじの九団次は子供がなかったので嘉男、嘉男と可愛がってくれました。二十一年に初舞台を踏んだ時の芸名が三代目市川筵蔵、はじめて貰った芸名の何と嬉しかったことか。その後寿海家へ養子に入ってから姓名判断で本名を吉哉と改名、芸名も八代目市川雷蔵を襲名しました。
ぼくの人生に記録された四つの名前のうちむかしの同僚北上君や扇雀君などは嘉男ちゃんと呼んでくれますし、ファンの方々は雷さんと呼んでくれます。ですからこの二つが今のぼくには一番ピンときて本名の吉哉は他人のように感じられるのは困ったものです。