開眼まで
酷使の中の『炎上』

 このような肉体的に酷使されていた年に、市川崑監督と『炎上』にとり組んだことは驚異にあたいするだろう。わたしはこの撮影のとき、はじめて雷蔵と逢ってゆっくり話を聞いた。そのとき、なるほどこの青年では大阪歌舞伎の中に住んでいられないだろう、と納得した。もちろん凡百のくだらぬ作品にも、それが会社の仕事なら主演しなくてはならないだろう。だが、まだ映画のほうならば、自己を開発させる可能性も充分あると考えられる。それが大阪歌舞伎にあるかないか。そこらのかね合いが、かれを映画に進めさせたものだろう。

三島由紀夫の傑作“金閣寺”の映画化で鮮烈な印象を

 それにしても、あの時点で、あの多忙の中で雷蔵はよく三島由紀夫の小説“金閣寺”を読んで、あの主人公をやる決心がついたものだと思う。市川監督は大映から演出を申しこまれたとき一度は断ったほどのものである。

 雷蔵にあったとき、彼は丸坊主でニキビが少し出ていた。

 「・・・二枚目という役はつまらないですねぇほんとにやりたくないですわ」とニヤリと笑った彼の顔をいまだに憶えている。わたしの永い映画生活のうち、このくらいの天の邪鬼には一度もお目にかかったことがなかった。だがこの『炎上』は彼にとって大きい試練でもあったし成長への足がかりでもあった。

 三十四年も彼の仕事は多かった。十三本を記録している。わたしは伊藤大輔監督、雷蔵主演の『ジャン有馬の襲撃』に期待していたが、もろくも失敗したことにがっかりした記憶がある。雷蔵もおそらくシナリオを読んだとき、その結果を知ったことであろう。彼の役はやり甲斐のあるはずのものだった。それが外れたのではやりきれまい。むしろ定式ではあったが『若き日の信長』のほうが楽しかったくらいだった。