セ・ラ・ヴィ!

 しかし、もし、かりに私が、そのような素晴らしい女性とめぐりあって結婚したとしても、それで将来の幸福が約束されるものとは限りません。

 また、『薄桜記』の主人公夫婦のはなしにもどりますが、あんなにお互いに愛しあっていても、ふとしたことから夫を裏切ったり、妻に裏切られたりする事件が発生するのは、小説や映画の中ばかりのできごとではなく、現実の人生にも起ってくることだからです。まだ、人生経験の浅い私などがこんなわかったようなことをいっては生意気に思われるかもしれませんが−こういう事件は、私たちの周囲でひんぴんと起っているのですから、自分たちだけは別だと安心してしまうわけにはゆかないと思うのです。

 フランス映画には、よく、「セ・ラ・ヴィ!」(それが人生だ)という詠嘆的なセリフが使われていますが、思いがけぬ出来事が発生するのが人生というものであり、それゆえに、平穏にして幸福な人生を人々は希望しているのではないでしょうか。

 もちろん、いくらそれがじんせいだからだといっても、愛しあっている夫婦のあいだに『薄桜記』のような事件がそうめったやたらと起きるものではないと思います。しかし、事件が発生しないからといって、その夫婦が幸福だとは断定できないのではないでしょうか。たとえば−もし、私が素晴らしい女性とめぐりあって幸福な生活を営むようになったとしても、ふと知り合った女性に純粋な愛情を抱くということは、起り得ないとは断定出来ません。それは女性の側にも云い得ることだと思います。

 このように精神的な姦通の場合、お互いに裏切るような行為をしなくても、そこには悲劇が発生するのです。なにも、これは、私が結婚した場合のことを想像していっているだけでなく、現に、こういう不可抗力の悲劇が、愛しあっている夫婦の間に発生していることは皆さまもよくごぞんじのことだと思います。−私が、目下撮影中の『薄桜記』の主人公に強く心をひかれているのは、実は、もし、私が幸福な結婚生活に入り得たとしても、こういうケースが発生してくることを予測しないわけにはゆかないからです。

 つまり丹下典膳が不義密通の罪を犯した妻にとった思慮分別のある態度、剣士でありながら右腕を失うというような自己犠牲の精神に徹したならば、お互いに愛し合いながら、妻以外の女性にひかれたり、夫以外の男性に愛情を感じたりする程度のことから起る悲劇などは、未然に防げるのではないかと思うからです。

 私が独身者のくせに、未経験の夫婦間の愛情にたち入ったことを述べたのも、私が未来の結婚生活をより幸福なものにしたいとねがっているからなのです。