「舞台は今回かぎり」と雷蔵

親孝行といえるのかなァ・・・市川雷蔵

 「今度の舞台の目的は、やはり親孝行ということになるんやろうなあ」(と、いささかテレ気味の、さりげない口調ではじまった)

 「今でこそオヤジも理解してくれるようになったけど、ぼくが映画入りした当初は、だいぶ淋しい思いをさせたろうからねえ」(ここで、しばらくシンミリしてから、にわかにキッパリした調子に変り)

 「しかし舞台は、もうこれっかぎりのつもり、僕は歌舞伎界に戻りたい気はサラサラないし、まあ今回はファンのご希望にこたえて・・・」(笑)

 しかし今度の舞台は、映画入りしたときからの永田大映社長との約束だったという。「君が映画界で一人前になったら、お父さんとの舞台共演を実現させようじゃないか」との社長のハゲマシが、いまや実現の段階になったわけだから、「自分としては、もちろん嬉しいが・・・」(と、ここでまた“しかし”がはいり)

 しかしお客さんたちは「映画の雷蔵が舞台に出たらどんなんやろ?」との興味で見てくださるのであって、舞台時代の雷蔵がなつかしくて来てくれる人は少ないにちがいないという。

 「それに僕は、映画でも舞台でも、大向こうウナらせようとして演技することは邪道だとおもっていますからねぇ」

 だから、これで“ひと勝負”という意識は毛頭なく、ただ久しぶりに親孝行ができるという喜びだけが強いらしい。このことは、孝行されるがわの“人間国宝”寿海の言葉からも読みとれる。

 「私は毎年、八月は舞台を休ませてもらうことになっているのですが・・・なにしろセガレが、私といっしょでなければ出演したくないというものですから・・・」と、いかにも好々爺然とした、うれしい苦笑をもらしてから、フッと心配そうな表情になり、「なにしろセガレは、勉強ざかりの七年間を舞台から遠ざかっていたのですから、セリフの発声法の勝手がちがうでしょう。うまく声がとおって、成功してくれるといいんですが・・・」

 ちなみに雷蔵の最後の舞台は29年6月、大阪歌舞伎座での「高野聖」。養父・寿海との共演らしい共演は、今回がはじめてだ。こんどの「浮名の渡り鳥」で雷蔵の父親役を演ずる寿海は、その劇中劇「鈴ヶ森」では、自分の当たり芸の権八役をセガレにゆずり、自らは長兵衛に扮して出演する。だがこの“よきパパ”も、セガレの舞台復帰の件については、もうこころよくあきらめた口ぶりだ。

 「なんといってもセガレはああいう現代人ですし、自分の好きなようにするでしょう」