草葉のカゲで笑われぬように

草葉のカゲから笑われぬようにしたい・・・錦之助

 いっぽう『親鸞』で丸坊主になった錦ちゃんは、連日の猛暑をおして『水戸黄門』と『青山播磨』のカケモチ撮影に追われ、さすがに少々夏バテ気味、自宅の応接間で、亡き厳父時蔵の遺影に見守られながら、言葉少なに抱負を語ってくれる。

生前の三世時蔵と左から錦之助、芝雀(新時蔵)、歌昇、賀津雄兄弟(30年8月の北海道巡業)

 「ほんとうは最低一ヵ月ほどの稽古をしたかったんだが、スケジュールのつごうでそれは許されず・・・それから、“ある少年の死”はリクツの多い悲劇だから、舞台がダレぬようにしなきゃぁ・・・いまんとこ気がかりなのは、その二つだけですね」

・・・「ある少年の死」は前々から映画にしたかったとか・・・。

 「ええ、来年あたりは、ぜひどこかの海でロケがしたい」

・・・とにかく、その映画化の足がかりとして、まず舞台の夢が実現して嬉しいでしょう。

 「いや、よろこぶのは千秋楽になってから」

といたって淡々とした返事の連続だったが、話が亡父のことに及ぶにつれて、しだいに眼の輝きがましてくる。

 「オヤジとは、ぜひもういっぺん、同じ舞台でやりたかった。オヤジも非常に気にして、病床でも一家共演の狂言を考えつづけていたくらいですよ」

錦之助が亡き時蔵丈と共演した最後の舞台は、33年の“錦ちゃん祭り”での「瞼の母」(長谷川伸作、村上元三演出)。このとき忠太郎役の錦之助は、母親おはまに扮した時蔵丈と堂々四つに組んで、何にもまさる芸道上の親孝行をはたしたものだ。あの火花を散らすような父子の競演ぶりを、もう二度と見ることができないのは、ファンにとって、もっとも悲しいことなのだが・・・。

 「とにかく明治座の舞台では、ヘタなことをして草葉のカゲから笑われぬよう、全力をつくしてやるつもりです」

 自信満々に誓う錦之助は、みごとに舞台を終えたあと、『親鸞・第二部』に続いて『宮本武蔵』の撮影に入るはず。対する雷蔵の予定作は『大菩薩峠』だから、この武蔵と机竜之助との対決ぶりも、けだし見ものである。