○スタアへの道

それからの彼は、ひたすら芸道に精進しました。演劇評論家武智鉄二氏の指導を受けたことは、彼の芸をみがくのにこの上ないプラスとなりました。この武智氏は、若い歌舞伎俳優たちを理論的な近代的な方法で徹底的に訓練した歌舞伎界の改革者で、新人育成の名人でした。やがて、雷蔵さんは、やはり武智氏に育てられた中村扇雀さんや坂東鶴之助さんとならんで、関西歌舞伎の若手三羽鴉とうたわれるようになりました。

昭和二十六年、彼は関西歌舞伎の御大市川寿海に認められ、七代目市川雷蔵を襲名して、昭和二十九年夏まで順調な舞台生活をつづけてきました。

その彼もいよいよ映画界入りする日がきました。新スタア探しに必死の映画会社がきそってこの有望な青年を獲得しようとしはじめたのです。“なんとなく”舞台生活に入った彼も、こんどは真剣に考え抜きました。現在、歌舞伎出身者のなかでもっとも映画向きの顔だと評されている彼が、当時周囲から聞く言葉は「君は映画に向かない」だったのですから、慎重に考えざるをえなかったのです。彼は、どの映画会社が自分に適してしるかを冷静に考えました。そして、大映を選んだのです。

それからの彼の活躍はご存じの通り。1本映画が出るごとにその人気はうなぎのぼり。今では一日百通を越えるファンレターが殺到しています。現在新作「次男坊判官」に出演している、そんな彼を待っているのは、初めての現代劇、大映オール・スタア・キャストの大作「珠はくだけず」です。彼の前途には、洋々たるスタア航路がひらけているのです。

○坊ちゃんという名のスタア

雷蔵さんのコンビ嵯峨三智子さんはじめ、撮影所の人たちは彼を「坊ちゃん」という愛称でよびます。貴公子風な容貌、おっとりした育ちのよさ、そして都会人らしいデリケートな神経。それでいて、「ヤア」と声をかけて肩をたたきたくなるような親しみ易さ−。彼の人柄は「坊ちゃん」というニック・ネームに尽されているといえましょう。彼は、何事にも、強烈な欲望とか、執着をもたない性格のようです。たとえば、休みの日などでも、ゆっくり新聞を読み、ぶらっと散歩に出て、映画でもみて帰る−というふうに一日をただ何となく過すのが好きで、特に一つの趣味に熱中することは好かないそうです。円満で片よらない性質の面白い例として、彼は、「月に二、三回はビールも飲むし、一週に一回くらいはぜんざいも食べるし、甘党、辛党の区別も僕には通用しない」と言っています。

日常生活でこのように平凡さを愛する彼ですが、ひとたびキャメラの前に立てば、平凡どころの騒ぎではありません。颯爽たる立廻り、歯切れのよいセリフ、すがすがしい魅力。

雷蔵さんは将来、フランスのジェラール・フィリップのような地位を日本の映画界において占めるだろうといわれています。日本のチューリップ坊やよ、頑張れ!

雷蔵さんのご住所・・・

大阪市南区畳屋町四二

(明星55年4月号より)