思い出日誌
幹事さんから正月五日迄の僕の日記をと、申してこられたのですが、大体僕は日誌等一切つけて居らず困りましたが、過し日を思い出し乍ら書く事にしました。
一月一日(晴時々曇)
十五年間正月は一家揃って新年のお祝いをする。この一生続けられる当り前の行事が今年は破られた年です。三十一日の昼の船で勝新太郎、三田登喜子、小町るみ子、上田寛の諸氏と一緒に四国の徳島と高知の舞台挨拶に鳴門の荒海を渡ってやって来ました、除夜の鐘も妙に淋しく聞こえ同じ日本に居るのに大変遠い国へ来ている様な気がしました。
徳島の劇場は元旦開場の新築でとても気分よく舞台に立てました。同時上映の映画も「怪盗と判官」で仲々受けて居た様です。夜の挨拶が終ると全員自動車で高知まで直行、夜の八時半出発して高知に着いたのは二時を過ぎて居ました。
一月二日(晴)
朝起るのが今日はつらい。高知の町はやはり四国でも一番の町だけあって活気あふれる感が道行く人にもみられる。此処は京阪神同様、「花の渡り鳥」と「バラの講道館」を上映して居り、昨日に勝る景気で舞台から見ても人の顔が重り合って凄い感じです。夜終演後は町を散歩。正月気分を味わいました。
一月三日(曇)
高知発九時の飛行機で高知-大阪を五十分。まるで忍術使いの様な気分の内に大阪の家に行き、諸先輩に挨拶を交し少々舞台を拝見、夜は早く京都の家に帰り三日間のつかれかすぐ寝る。
一月四日(雨)
撮影所の連中十人と朝京都を出発、城崎へ向う。温泉へ行くのは随分久し振りだ。着いて早々に入浴ゆったりとした気分になる。外は雨がしきりに降っている。
一月五日(雨)
昼頃目をさます。皆もう起きて居る。今日は全員で新春の麻雀大会、第一位に僕がなり“こいつアー春から縁起がいいなア”と機嫌なり。お風呂に三、四回入った。外はいぜんとして雨が降って居る。