両刀使いの優等生

着実に“息の長いスタア”への道を歩む市川雷蔵さんと荻先生は満点の採点を

「好色一代男」の成功   惜しむらくは時期が・・・

もう、足かけ四年ほど前になるでしょうか、一夕、雷蔵さんが数名の評論家と席を囲むことがあって−そのとき、ふと、彼はこんなことを言い出した。

「私、どうしても撮りたいものがあるんです。西鶴の『好色一代男』なのですが・・・」

ちょうど、市川崑監督の「炎上」が出た直後で、演技俳優市川雷蔵の名は、いわば赫々と輝きあがったときのことだった。雷蔵さん自身も、希望と自信ではちきれんばかりの瞬間だったのでしょう。そんな彼がもらす腹案として、まさに「好色一代男」は、うってつけに思われる企画でした。大きい、演りがいのある、しかも“大人の”企画だ。私は、雷蔵さんの演じているあでやかな世之介が、すでに眼の底に見える想いまでしました。

「そりゃいい。しかし、その企画は監督さんがたいへんですね」

私は答えました。凡庸な、単なるお色気映画を作るつもりの監督さんにこねまわされては、「一代男」もたまったものではない。西鶴も迷惑だし、雷蔵にもトクはない。私の気持ちの底には、「雷蔵さん、せっかくの企画も、溝口(健二)さんに死なれて、残念ですね」という言葉がひっかかっていたのです。しかし、雷蔵さんは、私のそんな気持ちを察したか、眼鏡の底でニコッと笑うと、ちょっと声をひそめ、−これはまだ公表できないのですが、と前置きしながら、「じつは私、監督さんには或る方をアテにしてるんです」と言い出しました。

その人−増村保造監督の名をきいたときの私の驚きと感嘆を、皆さんは容易に察してくださると思います。驚き、とは、現代劇の中でもいわば最尖端みたいな増村監督に、時代劇を作らせるという、そんな雷蔵さんの“無謀”さについてではない、私は、雷蔵さんという典型的な時代劇役者が、自分をひろげるためには、それほどまでにして、他の映画の世界にも眼をくばりつづけていたのか−その点に驚いたのです。そして感嘆とは、この時代劇俳優が、単に名監督に“頼る”だけでない。自分から新しい監督を迎えてまで、時代劇映画というものを新しく改造しようとかかっている−世之介といえばただアデヤカ、といった常識を自分から大胆にひっぺがえそうとしている、その、進歩的なものの考え方に対してなのでした。京都の撮影が終れば、ちょっとでもヒマをみつけて東京に出、それも都心のホテルにとまって、たえず新しい世間の動きをみようと努めるという、この人の優等生的な生活信条は、この監督のえらび方にも、はっきり表れているのではないか。

その奥底の喜劇的感覚・・・

今度完成した「好色一代男」は、必ずしも渾然たる芸術味に達した作品ではなかったにしろ、時代劇としては、まさに風変りな、異色の風刺映画になっていました。

武士階級や封建制度の愚劣さに比べたら女好きな世之介のもつ天真ランマンな生命感こそ、本当に人間的なのだ。しかし、その世之介さえも、「自分こそ自由人でありフェミニスト(女性崇拝者)だ」と信ずれば信ずるほど、結局は、日本の特権階級である男性として強権を、無意識のうちに利用せずにはいられない封建人だった。−あの映画は、そういう二重三重の皮肉を、日本や、その古さに対して、投げつけようとした作品だったと思われます。

その皮肉は、残念なことに、この脚本や演出からは完全にお客さんへ届いた、とはいいかねるかもしれませんが、しかし、雷蔵さん自身についていえば、こういった世之介の自由さ、たのしさ、そして人の好い間抜さは、文句なく彼のゆとりのある演技と、美しくかつユーモラスなムードに表現されていました。この作品を、なにか、品の悪い好色映画のようにいう人もある。それはまったく、表面でしか彼を見ない云い方です。

じつはこの映画を不潔感から救っているのは、まさに、市川雷蔵の世之介がもっていた、あのマジメなようでトボけた、えげつないようで人のいい、清潔な美しさと喜劇感覚であるといっていいのです。私は惜しいと思う。「好色一代男」は、もし雷蔵自身が企画を思いたった直後−つまり「炎上」にひきつづいて映画化されていたら、もっと華々しい評価を受けた作品になっていたにちがいない。雷蔵さんにとっても増村監督にとっても残念だったのはなんと皮肉なことに雷蔵自身、すでにこの映画で示したような喜劇感覚のヨサを、彼が以前に証明しつくしてしまってたことなのでした。たとえば、「ぼんち」といった秀作で−しかしそのことは、いよいよこの俳優も、自分をつねにためし拡げて行く勇気や実力を証明する以外の、何ものでもないでしょう。