想い出はつきず・・・

喜びも悲しみも作品に賭けて

 二十九年の七月、取敢えず三カ月三本の本数契約を結んで、舞台から大映に出演することになり、その第一回作が「花の白虎隊」でした。夏のさ中に、初めてあの強いライトに照らされた感じは暑くて今も忘れられない。二条城ロケで見物人にたかられ、土の上で 芝居することの難しさをつくづく感じさせられたが、今にして思えば震えていたのでしょう。ニキビが大へん心配だったが、ラッシュを見て映画とは不思議なものだと思った。

 次いで「幽霊大名」で初めて長谷川先生と共演、手をとるような指導をうけて大いに自信を得た。「千姫」は初めてのカラー作品でしたが、厚ぬりでまるきりキナコ餅のような秀頼になり、おまけに鎧が重く大へんだった。火事場の立廻りは、本当に火の中でやらされ随分こわかったのを覚えている。次のひばりちゃんと共演した「歌ごよみお夏清十郎」は、新東宝系に上映されたので私の唯一つの他社出演という結果になったが、大映で約束の三本を終えて舞台へ帰るという所を松竹から貸しに出された形になり、後味の悪い映画だった。しかし淡路島ロケはまるで遠足のようで楽しかった。

 ここで大映と新たに専属契約を結んで「美男剣法」から再びスタートすることになった。相手役には嵯峨さんを迎えたが、青蓮院ロケで初めて彼女に会い、挨拶も早々毒舌の応酬を始めたので、以来二人は最も仲のよい喧嘩友達ということになった。舞台でもやった事のなかった初めてのやくざものというので苦労した「次男坊鴉」は、キマタで颯爽とセットへ現われたが、まるきりキリギリスのような脚で、これ以後は、パッチをはくことにした。

前作が好評だったので次男坊シリーズとして衣笠先生が私のために脚本を書いて下さった「次男坊判官」は若き日の遠山金四郎で、嵯峨君と三度目の共演。次いで八潮悠子さんと、初顔合せの「鬼斬り若様」のあと、初の衣笠作品「薔薇いくたびか」に出演のため東上、最初の現代劇だというのに、皮肉にも神代の服装で出る事になった。続く「踊り子行状記」で初めて山本富士子さんと共演、また勝君とは一緒にデビュー以来、十本目でようやく顔を合せることになったが、残念ながら愚作の一つに終った。「綱渡り見世物侍」は二枚目半的なユーモラスな役で大へん楽しかったが、おかげで評判もよく、今でも好きな作品の一つに数えたい。

私の代表作となった今は亡き溝口監督の「新・平家物語」は、デビュー作品と同様に生涯忘れられない緊張の一作でした。他社の俳優さんを候補に準備を進めていたものを、社長の意向で急にひっくり返って私がテストを受けることになり、扮装にも随分頭を痛めたが、リハーサルの厳しかったわりに、セットへ入ってからはスムースに進んだようだった。先生の気迫に負けてはダメだと思って、演技以前にフンイキに呑まれまいと大いに苦労したが、お蔭で、実力以上のものを発揮出来たし、演技する楽しさというものを初めて知った。ただ溝口先生とはこれ一本で終ってしまったことが残念でならない。このあと冬木心中から取材した「いろは囃子」と明るい役どこで勝君と 共演した「怪盗と判官」と続いたが、撮影中に養父の市川九団次が死去して、悲しみの中にこの年を終った。