大映京都の長谷川一夫が初の荒木又右衛門にふんする『伊賀の水月』は、渡辺邦男監督のメガホンで講談調の面白さをねらってクランクを続けているが、これに殿様を演じては大映きっての風格を示す市川雷蔵が、『弁天小僧』と掛持ちで出演し、又右衛門の主君である大和郡山の城主本多大内記を演っている。

 そこでセットで顔を合わせた二人の閑談をそっと録音してみた。

長谷川: 雷蔵君の弁天小僧の女形を拝見したが、なかなか美しかったね。女にも見られないお色気があったよ。

雷蔵: 大先輩にそう褒められては、穴の中に入りたい思いです。僕のノド仏が人並はずれて高いので、それが気になって(笑)。

長谷川: 映画でのお色気というのはなかなか出いにくいもので、私はちょっとした動作でそれを表現しようと努力したものです。たとえば起居振舞に、こうすれば見た目に美しく、自分の魅力が出せるのだとか、歩き方一つにしても、その役柄をつかんだ歩き方を研究したものであす。

雷蔵: どうも近ごろの時代劇の女優さんは“色気がなさすぎる”とよくいわれるんですが、どうしてなんでしょうかね。

長谷川: 現在の女優さんは、どちらかといえば洋服ばかり着ているでしょう。どうしても動作が活発になりすぎて、こぼれるような色気というよりも、パッと開放的なんですね。やはり時代劇を演る以上は、平常から着物に慣れておいた方が何かとよいと思うんです。

雷蔵: 映画で僕は初めて女形を演じたんですが、帯をきつくしめた上に、ごてごてと衣装を着てみて、女の人の苦労がしみじみ身にしみました(笑)。普段から着物に慣れておかなくちゃお芝居どころではありませんね。時代劇の女優である以上、それくらいの修練は絶対必要で、その修練を乗り越えて初めてお芝居が出来、お色気もでるんでしょうね。

(日刊スポーツ  11/06/58 )