幼な友達雷蔵君

雷蔵君は、ぼくには忘れられない幼な友達です。幼少時代、京都の木屋町に住んでいた頃は隣組同士で、近所の高瀬川などへ一緒に遊びに行ったことを、おぼろげながら覚えています。

はっきり覚えてるのは戦後間もなくですから12、3歳の頃、一緒に三味線のお稽古にいった頃からです。尾上菊之丞さんや、杵屋君重さんも一緒でした。

その時の稽古は『都鳥』だったのですが、ぼくらはなにしろ子供だし、初めて二人揃っておさらいをするので全然自信などなく、やれるだけやろうというわけで二人とも“心臓”でやってのけてしまいました。今から考えると全く冷や汗が出ます。

そんなことがあってから、ぼくと雷蔵君は不思議と気が合って、若手歌舞伎の新しい在り方としての「武智歌舞伎」が創設されるや、(坂東)鶴之助君や北上(鯉昇)君らと一緒にこれに参加して、血の出るような研究会が続けられました。

普通の稽古なら二、三回で終わるところを、武智さんの稽古は二週間ぶっ通し、それも昼は『お染久松』の舞台に出て夜は『妹背山道行』の稽古という強行軍です。名古屋御園座の三階の稽古場で、舞台が上がってから翌朝の4時、5時まで稽古が続けられるのですから、遊ぶどころか寝るひまもありません。

だけど、こんなつらい猛稽古にもお互いに耐えたことが、今日のぼくらにどれのほどプラスになっているか知れません。

武智歌舞伎の実験劇場では『野崎村』『修善寺物語』『妹背山道行』などで共演しましたが、雷蔵君は芸にものすごく熱心な人で、ぼくなどいつも圧倒される始末でした。

そして偶然にも、雷蔵君が映画界入りする前の最後の舞台も、ぼくと一緒の『高野聖』という芝居でした。

雷蔵君は、性格としてはとても謙虚な人ですから、どこへ行っても失敗することはないと思いますが、いつまでもこういう気持ちを持ちつづけて映画界でもおおいに活躍してほしいと思います。

そして、またいつの日か、雷蔵君と舞台で共演できることを楽しみしています。