最後の時代劇スター

▲市川雷蔵の魅力は、端正なこと、メリハリのあったこと、流麗な線のなかに折り目の正しさの感じられる切れ味があったこと、それに重く、はっきりした調子の声市川雷蔵の一つの面ではないか。

★大映の録音はよそと違ってエコーが強いからよけいにそう感じるのだろうが、確かに『陸軍中野学校』なんかのモノローグには声自体に素晴らしい効果があった。「眠狂四郎」の人気も、彼の音声によるところ大ではなかっただろうか。

▲彼の立ち廻りには妖気があるとか。

★「眠狂四郎」の頃には眼がくぼんでいて、青いシャドーがさしていた。夢想円月殺法にすいこまれていくという設定が少しも不自然でなく、妖気が雷蔵全体を包みこんでいたような気がする。

▲鶴田浩二が演ったけど甘すぎたし、雷蔵の死後松方弘樹も二本撮ったけどエロティシズムのかけらもなかった。本格的な格調高い剣士を演れる役者は市川雷蔵と月形竜之介といった人もいる。

★その二人とも死んでしまった。

▲もし雷蔵が生きていたら大映無きあとどうしただろうか。

★第一線のスターたちがこぞって自分のプロダクションを興したようにはできなかったではないか。市川雷蔵が錦之助や裕次郎や三船と共演する図は想像しにくい。彼は純粋大映スターというイメージ以外に考えられない。また、大川橋蔵のようにテレビに変わるという芸当もできなかったのではないか。市川雷蔵の死は、時代映画の死も意味していたようだ。

▲いい時期に死んだといったらファンにおこられそうだ。

★生への積極的な意志を持たないヒーロー「眠狂四郎」は、演者雷蔵の死によって、あらゆる時代劇ヒーローの終焉を飾った。

▲雷蔵が死んだのが昭和44年。京の祇園祭の日だった。京に育った時代劇のスターらしい最期だ。

★こんな言い方は失礼だが、勝新太郎が死んでも、石原裕次郎が死んでも、もちろん大スターの三船が死んだって、いまのような人気は考えられないだろう。

▲それだけ雷蔵ファンも誇りに思っていいのじゃないかな。

(76年8月25日発行 シネマぱらだいす2号より)