小島正雄 おしゃべりジャーナル

 

 雷蔵さんは、一年に一、二回東京へふらりとやってくる。こまかい仕事はあるだろうが、いわゆる遊び。東京の空気を吸いにくるのだという。その雷蔵さんに今回はご登場ねがった。

 よく雷蔵さんは女ぎらいだ、といわれるが・・・もし、そうだとすれば、どうしてソウナノデアルカ。おはなしは、まずそんなところからはじまった - 。

 

時代劇のほうがむずかしい


小島: 雷蔵さんの近眼はどのくらいです?

雷蔵: 14度。0.1くらいです。

小島: 殺陣のとき、影響はないですか。

雷蔵: 別に影響はないですよ。はっきり見えないですが・・・。

小島: 原則的には、夜ふかしのほうですか。

雷蔵: たいがい夜は十二時まで起きていますね。それ以上に早く寝ません。スポーツ選手だけが、体のコンディションを整えるのじゃなくて、俳優もコンディションというものを考える必要がありますよ。

小島: それはそうでしょうね。

雷蔵: だからやはり、夜寝すぎていますと、睡眠時間が足りなくなったときに、それだけ寝ないと体の調整がとれないようになりますから、いつも七時間半から八時間の睡眠をとるようにしていくのがいいと思いますね。

小島: ことに映画の場合は、特別なものをのぞいて、日数のかかる仕事だから、きのうは快調でした。きょうはベタベタでは、一つの作品でムラがでてきちゃうでしょうからね。

雷蔵: だから、早く撮ったときとか、仕事のないときなんかでも、なにかしながら起きていて、十二時ごろ寝るようにしているんです。だから朝はたいがい七時か八時ごろ起きるんです。このペースが狂いますと具合が悪いです。

小島: お付合いがあっても、時間になれば、帰ってきちゃうほうですか、自分のペースを守って・・・。

雷蔵: ええ。その点は映画会社の付合いがないですよ。自分が気にいらなければ行かないですよ。歌舞伎ではそうはいきませんでした。いわゆるごひいき筋のところにいかなければならないことがありましたから。だけど、いやな席につらなって食べる料理のまずさというものはないですよ。まずいですな。(笑)

小島: これから『ぼんち』『好色一代男』と大作がまっていますけど、『炎上』のときは、やはり大作で現代劇というのでまごついた、というようなことはありませんでしたか。

雷蔵: それをよくきかれますけれども、自分でもよく考えるのですが、やっていたときも、すんでからいろいろ質問されたり、いままた考えたりするとですね、やっぱりやりにくかった、というようなことはなかったですね。けっきょく、どういうことですかな、現代劇はですね、それはなんといいましても、いま、ぼくは現代に生きているんだから、現代劇をやれるのはあたりまえなのだ、そういう考え方をしましたですね。

小島: なにも特殊な、非常に狭い社会に住んでいるわけじゃないし・・・。

雷蔵: われわれが常日頃やっている時代劇というもののほうが、たいへんやりにくいですよ。その時代というものは、わからないし、その風俗なり性格なり、書物は残っていても、やはりつかみにくいです。時代劇が多いのに、こんなこというのはヘンですけれど、時代劇のほうが、かえって、むずかしい。そういう考え方があると思います。

小島正雄(1913年3月4日〜1968年1月20日)日本のジャズ演奏家・評論家・司会者。愛称はチャーさん。

 東京生まれ。早稲田大学卒業後、1941(昭和18)年にNHKに就職。翌年召集され、1947(昭和22)年に復員後、戦後再結成した名門ジャズバンドであるブルー・コーツのバンドマスターとしてとして活躍。また、日本を代表するコーラスグループであるダークダックス、ボニージャックス、スリー・グレイセス等の育ての親である。

9500万人のポピュラーリクエスト(文化放送)、味の素ミュージックレストラン(ラジオ東京・現TBSラジオ)、オーナー(1964〜66年)水・木担当や、大学対抗バンド合戦(1966年大橋巨泉と共に担当)といったラジオ番組やシャボン玉ホリデー、11PM(日本テレビ)等のテレビ番組で活躍した。

 1968(昭和43)年1月、心筋梗塞のため急逝。54歳没。(Wekipediaより)