|
||
|
||
|
撮影に入っても、少ない予算と限られた条件で、会社内ではいわば独立プロ的扱いだったらしい。完成後、雷蔵は東京、京都を自バラで往復し、試写会場で一席ぶつことも忘れなかった。ちょっと珍しいケースだ。この「一席ぶつ」いいかえれば思ったことをズケズケということが、市川雷蔵という二十七歳の青年の最大の特徴なのだ。
例えば彼が後援会の会員に接するとき、つまり最高のファンに会うときに、彼は納得できぬことは、どこまでも話合うそうだ。 相手に不快の念を与えてもかまわない。彼にいわせれば自分はファンにこびてまで人気を得ようとは思わないという。相手役である山本富士子は 「ロケ先でサインを頼まれるとき、私は一人でも多くしてあげようと思います。ところが雷蔵さんは仕事が終わればあとは個人の自分という考え方のようです。俳優としてのそれぞれの生き方でしょうが、いらないこだわりをしないところは近代的なのでしょう」 石原裕次郎がまつわりつくファンを振りきって「うるせえな」といったという話があるが、雷蔵も似ている。セット内でのスターはライティング(カメラやライトを動かすこと)のあいだは、ぼんやり待っていることが多い。ある貴社がその間にインタビューを申しこんだところ、彼は断ったという。 「ほかの人は知らないが、おれは暇じゃない。次のカットの演技を頭の中で考えているんだ。会うのは全部終ってからにして欲しい」 こういった調子だから、雷蔵は一部のジャーナリストにいわせれば“なんと生意気な野郎だ”ということになり、また、他では“おていさいの愛敬笑いを浮かべられるよりは、はっきりしていて、仕事がしやすい”という事にもなる。 |