カット写真は京都の自宅で電話をかける素顔の市川雷蔵
 
 昭和三十三年度ブルーリボン賞候補に大映スター市川雷蔵がもっとも有力だという。五年前映画入りしてから、近作『弁天小僧』で、ちょうど五十本、ことしは錦之助、橋蔵の王座をゆるがす人気がでるだろうといわれている。

 いったい雷蔵とは、どんな男なのだろうか。

大谷会長と大ゲンカ

 雷蔵のこの直言癖は、いまに始まったことではない。終始一貫しているのだ。彼の育ての親ともいうべき演劇評論家武智鉄二氏は

 「雷蔵がカブキをやめて映画へ走った直接の動機は大谷竹次郎氏と大ゲンカしたことだ。いまから五年前、当時鶴扇時代といわれていたほど扇雀、鶴之助が重視されていたが、いつしか鶴之助が不遇になってきた。雷蔵はこの状態をみて、“鶴之助さんですらあんな扱いしかしてもらえないんだから、ぼくなぞはさぞかし冷遇されるだろう”と、大谷氏に面と向かっていったことが憤激を買い“修行中の身の上なのに、冷遇に文句をつけるとはけしからん、そんなやつはやめてしまえ”といわれた。“それならやめさしてもらいます”と売り言葉に買い言葉で、席をけって立去ったという。非常におとなしくみえるが気骨のある男で、閉鎖的なカブキ界では一種の変人扱いされていた。他人なぞ眼中にない様子で、先輩の蓑助や菊次郎にもツンケンした態度を示す。しかしあのヌケヌケとした顔で、毒舌を吐かれると不思議に腹が立たない。私は長い間、彼を指導したが、その間、稽古中にも“先生のいやはることは毎日変わるからかなわん”とズケズケ文句をいった。他の人が陰性なのにくらべると、全く開放的なその発言で、かえって救われたような気分をこちらにもたせるのは、やはり一種の人徳だろうか。これが雷蔵の持味であり、愛敬でもあるのだ」

 雷蔵の映画は、かかさず見ているという、ある女子大出のインテリ・マダムは

 「ご本尊にお目にかかったことはないんですが、あの魅力は一種のお色気ですね。それも長谷川一夫や錦之助ともちがう、なんというか貴公子然とした気品のあるものです。“白馬に銀鞍”といった表現がぴったりする、けれども高根の花という近よりがたいものではなく、いつでもウマから降りてくれそうな気もするし・・・」

 “時代劇の貴公子”という愛称と、歯に衣を着せぬ直言居士とは、なにかぴったりするイメージでもある。

正月映画『遊太郎巷談』に出演中の雷蔵

注:杜甫31歳作の以下の七言絶句の「少年行」を指すと思われる。

「少年行」      
五陵年少金市東 銀鞍白馬度春風
落花踏尽遊何処 笑入胡姫酒肆中

(訳:五陵の若者は、金市の東、繁華街、銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く。
一面に舞い散る花を踏み散らし、どこへ遊びに出かけるのか
にぎやかに笑いながら、碧眼の胡姫の酒場へ行こうというのか