監督から見た雷蔵さん

雷ちゃんの素顔

○雷ちゃん

 撮影所内だけでなく、雷ちゃんと云う愛称は既に一般化してしまっている。今年はその市川雷蔵が、映画界に入って足掛け四年目の春になると思いますが、彼の愛称が一般化される程に彼の人気も高まり、日本の映画界になくてはならない人になった事を何より喜びたいと思います。

○ヌーボー雷ちゃん

 無造作に頭髪をバサつかせて、棒縞の丹前に突っかけ下駄、薄い眉に近眼鏡。心持ち開いた口元 − そう云えば眼鏡の奥の細い眼も、視点は何処か宙にある様な、良く云えばスラリ、悪く云えばヒョロッとした白面の青年が、砂利を敷いた撮影所内をぴょこぴょこと浮き上る様な格好で歩いているのを指して、あれが雷蔵だと教えても、急には信じられないと思う。然し事実、吾が雷ちゃんは、右の如く至極ヌー且つボーとした姿を遠慮会釈なく吾々の眼前に見せてくれるのである。

○理屈屋雷ちゃん

 雷ちゃんのヌーボー振りを見て、彼の本来の姿と思ったら大間違い。雷ちゃん程何事にも鋭く観察をし、理論的にものを考える俳優さんは珍しいのです。又、人を問わず場所を問わず、堂々と自分の意見を開陳して、納得のゆく迄ゆずらない剛直さは見事なものです。思うに、頭の中で常にものを考えている人間の表情はボーとしている様に見え、姿態はヌーとして見えるものなのでしょう。四六時中外ばかり気にしていては、頭の中の動きが留守になる筈。善き哉、吾等の雷ちゃん。

○眼千両雷ちゃん

 雷ちゃんの魅力は数々あるが、僕は特に彼の眼の美しさに強く惹かれます。スクリーン上のクローズアップで、キリッと苦み走った男ぶりを一段と輝かせているのは、強い光を湛えた大きな眼です。

 何故、雷ちゃんの眼が、平常の時と違ってこんなに大きく見え、澄んで美しく、そして強い光を湛えて見えるのでしょう。勿論、彼の演技力だと云う答に異存はありませんが、その他にも一つ理由があると僕は思っています。それは幸か不幸か、雷ちゃんは相当強度の近視だと云う事です。近視の人の眼は美しいと学理上からも説明されています。(多分ね −)その近視も、時代劇では困るから撮影の時には眼鏡を取る。持って生まれた自分の眼だけになると、一メートル離れた人の顔もボケて見える彼だから、さア大変。無意識の中にも、ボヤけた視界を鮮明にしようと大いに眼をみ開いて、空しい努力をするのが、強度の近視者たる吾等の雷ちゃんの習性となっている − と僕は思う。彼は云わずもがなスクリーン上の彼の眼の魅力の秘密は、案外こんな所にありそうです。はて、これは悪口になるのかそれとも礼讃になるのかな −。

 それはとにかく、僕は雷ちゃんが好きだ。だから雷ちゃんについてまだまだ書きたい事も沢山あるが、紙面の都合もあるのでこれでペンを置き、新年冒頭、益々吾等の雷ちゃんの健闘と精進、そして健康を祈る事にしましょう。

『浅太郎鴉』(三隅研次、初監督作品)

(01/24/58発行 よ志哉3号より)