感激の朱鞘

 この三月、橋が東京の国際劇場で打ったワンマンショーの初日、女優の宮川和子が大映を代表して花束を贈呈したが、同時に「雷蔵さんからです」と朱鞘の竹光を手渡した。貸道具屋K商会(高津商会)のもので、スターといえども容易に入手できないシロモノである。しかし、雷蔵の熱意が同商会B専務の心を動かし、「どうぞお使いください」となったもの。

 事情を知らぬ橋は、まさかプレゼントされたとは思わず、大映での第二作『木曾節三度笠』の撮影の時、朱鞘を手に雷蔵のところへ現れ、「この映画でも使わせてもらいます」と挨拶した。と、「それは君へのプレゼントだよ」と雷蔵。グッときた橋、若い二人の手は、強く握られた。

二人の出会い

 ハイティーン歌手として人気急上昇中の橋が、大映と専属契約、昨年末『潮来笠』で映画初出演したときだ。すでに“歌謡界の雷蔵”といわれていた橋に、「どんな顔をしているか、ちょっとばかり興味があった」雷蔵は、橋の顔を見がてらセットをのぞいた。

 「よろしくお願いします」と頭をさげた橋のすなおさが、「十七歳にしては落ち着いた物腰、人気におぼれたり、すれたところがない」好感を雷蔵に与えた。「頼もしい先輩」橋幸夫も本能的にそう思ったそうだ。二人の仲のよさが所内の評判になった。

 人間雷蔵を知るある監督は「彼って見かけによらぬさびしがり屋なんですよ。橋君は、そんな彼にいい弟が出来たってところでしょうか」と話していすが、本当に二人が胸をぶちあけ合ったのは、『おけさ唄えば』の初共演から。この映画で森一生監督は、橋の演技が堅いと雷蔵に「なにも云わなくていい。そばにいてやってくれ」と頼んだ。以来、出番のない日でも雷蔵は現れ、無言で橋の演技を見守った。最愛の弟を見つめる兄のマナザシだった。

 「この先輩のためなら」橋はこの時、心に期したとい。橋が大劇の舞台を踏めばステージに立って挨拶をし、“橋のバースデーショー”では、東京まで出向いてゲスト出演した。

 京都のナイトクラブ“O”(60年3月御池通りと鴨川が交差する西詰めにオープンしたナイトクラブ“おそめ”)に出演した時など、二日連続で最前列のテーブルに陣取ったという“兄貴”ぶり。感激のあまり、橋が歌詞をとちったという一コマもあった。橋の母親が西下した時など、京都見物に愛用のベンツを運転手つきで提供もした。「雷ちゃん何のために」あっけにとられる関係者に、雷蔵は答えた。「あの人の息子が、とてもいいヤツでウマが合うからだよ」