日本映画好敵手論

中村錦之助・市川雷蔵


       

  東映の中村錦之助と大映の市川雷蔵とが、「好敵手論」の一角に登場する理由は、多分彼らが、まるで自動押印機で処理される郵便のスタンプのごとく、どれをみても同じ形で、ただ日付がちがっているだけの文字通りの千篇一律の時代劇の中で、とにかくステレオタイプ化されない個性感を生かした俳優であるということだろう。

 ところで、ぼくはいま、個性感を生かしたといったが、正しくいえば、生かそうと努力していると未然形の表現をとるべきである。これを錦之助にみれば、彼が昭和二十七年新芸プロ映画『おしどり草紙』でデビューし、以後東映に入り、連続映画『笛吹童子』『紅孔雀』で千代之介とのコンビのブームを形成したころの彼は、まだ少年期の面影をのこした幼さが、極度にロマン化された物語のなかでうまく生かされ、少年たちの心をつかんだのだったが、彼自身の言葉によると、「全く無我夢中でした」というように、精神のない一個のオブジェでしかなかった。一体時代劇のスターの宿命は、このオブジェになりきるか、なりきらぬかにあるといってよく、例えば、同じ東映の千恵蔵のいれずみ判官も、市川右太衛門の御存知退屈男も、いずれも完全にオブジェ化した形態である。しかし、錦之助の場合は、いつまでも少年物のオブジェになってはいられない。彼の柔らかな頬に、いつのまにか、青年の強い曲線が出てき、童心の笑いといわれた無邪気さを裏切るようになった。この変化よって、東映は、彼の次のオブジェ化に向っての出発をはかったが、これはそう容易ではなかった。サッソーたる若さの強みを見せる役が次々に彼にあてがわれたが、率直にいって、観客と彼とのつながりは、やや乖離した。一個の野生児を描いた「織田信長」のラストで、典型的な時代劇美男スターの扮装で出現したり、或いはよごれ役の「森の石松」の最終場面で、眼のあいた好男子の石松がでてきたりして、客を驚かしたが、これは、この乖離を何とかして縫い縮めようとする会社の苦心の策であった。

 いってみれば、過渡期の苦悩である。だが、彼は、思いきって転進した。『任侠清水港』の森の石松という、いわゆる二枚目半という役に、いままでにない精彩のある演技を見せた。続いて、沢島忠の出世作、『一心太助』で、同じ方向をとって、愛すべき任侠児を演じた。再び彼の言葉を使うと「あれで、吹っきれた気持がしたんです」というのだが、たしかに、この二作によって、彼は、彼の天性を生かす演技のコツをつかんだようである。少年物でみせたあの無邪気な童心の笑いが、ここでは、江戸時代の一個の市井児の庶民的な笑いとなって復活した。前者は、次郎長親分の、後者は、大久保彦左衛門の威勢、或は権力を背負っているという身分社会のワクの中にありながら、そのアナクロニズムを感じさせないほど、向う意気が強く、しかも愛嬌のあるユーモラスな人間を創造した。