時代劇の未来を賭けた二つの顔

汚れ役のブルー・リボン

彼の芸に一つのエポックをつくった『炎上』(左・仲代達矢)

 この『新・平家物語』は、大映での、雷蔵の地位を安定させた。が、それよりも、彼にとって大きなプラスになったのは、自分の仕事に自信がもてるようになったことである。

 演技は小手先のものではなく、いちど体あたりした者が、やっと芝居を納得したときに、できるものだ。雷蔵は『新・平家物語』のあと、コミックな(喜劇風)役柄もこなせるようになった。『又四郎喧嘩旅』とか『浮かれ三度笠』とか・・・。

 映画界は、この青年俳優につぎつぎと課題を与えた。そのひとつに落第すれば、それまでの努力も成功もフイになる。それがスターの運命というものだ。木下恵介監督が、雷蔵をつかまえて、こう言った。「この間の『浮舟』で、君の演技を見たんだが、あれはいいね。助演男優賞ものだと思ったよ」これで有頂天になったら終わりである。このあとすぐ、市川崑監督から声がかかった。

 三島由紀夫の「金閣寺」の主人公、溝口吾市の役をやってみないか、というのである。さっそく、ひき受けてはみたものの脚本になった『炎上』を読んでみると、まるで難解である。原作を読んで、少しはわかるような気がしたが、まだ不安だった。考えあぐねたすえ、京都のスタジオの親しい人に相談をした。ところが、相談を受けた人々は、みんな反対する。「むずかしいね。下手をすると、いままで君のやってきたことが、みんなフイになるよ」

 だいいち、吾市は劣等感のつよい、ドモリの醜男である。“美男タイプ”で売り出した雷蔵とは、ちょっと大きなへだたりがあるだろう。スタジオ・マンのいうことも、もっともと思われた。しかし、反対されてみると、逆に意欲がもえた。世間の人々のイメージとは逆なものに、挑戦しよう!彼は若い鞭がしなうように逆の方向に向ってとび出した。そのうえ、彼には「普通の出方ではだめだ。なにか変った出発をしよう」という考えがあった。

 脚本を何回も読みかえしてみると、彼自身にも、溝口吾一市的劣等感に苦しんだ時代があり、吾市と自分の共通点も発見することができた。

 市川監督から話があってから一年め−『炎上』は完成した。

 彼は「市川監督のイメージにぴったりした溝口吾市をつくりあげた」(田中助監督・談)そして1958年度のブルー・リボン男優賞を手にしたのだ。

 映画界は雷蔵について、もうひとつの魅力を発見した。「メーキャップがうまい。『炎上』では、わざと自分の美しさをキャンセルするような、つくり方をしたが、ほかの作品では、ちゃんと自分の美しさをつくっていく。はじめて、雷蔵の素顔を見た人は、誰もこれがあの市川雷蔵だとはわからないだろう」(田中氏・談)