時代劇の未来を賭けた二つの顔

接吻という新課題

時代劇に新しいジャンル“弥次喜多シリーズ”の錦之助(右・弟 賀津雄)

 だが、雷蔵が『炎上』の溝口吾市に挑戦したように、錦之助にも“この一番”という試練があった。内田吐夢監督の『浪花の恋の物語』だ。江戸っ子錦ちゃんが“浪花っ子”になり、しかも剣をすてた丸腰の町人を演ずるのである。錦之助は、役柄の“忠兵衛”に対して異様に緊張した。

 「一心太助にしろ、信長にしろ、これまでの錦之助は、ある程度顔を出すことを許された。下地でもっていたとも、いえるだろう。しかし、忠兵衛の役は、心理の立回りである。私には、ほとんどはじめての演技が要求されたかと思う」

 まず、上方言葉が苦労である。東京生れの彼には、まるで“外来語”だった。さっそく大阪出身の俳優二人に教えをあおいだ。台本を読んでもらって、それをききながらアクセントをつけた。それをテープに吹きこんでなおしてもらうのである。ながいセリフは、マジックインキで書いた紙を部屋の壁へはって徹底的におぼえる。ひととおりできあがったところでまたみてもらう。こうしてあの大阪弁をマスターした。そのほか、スタジオなどで、大阪出身の仕出屋さんにあうと、疑問のところを熱心に問いただしていた。

 メーキャップでも苦心をはらった。思いきって眉やマツゲをつけず、素顔でゆくという新手をこころみた。が、それにしても難問だったのは、接吻である。彼は、いままでほとんど接吻のシーンに恵まれなかった。いちどだけ『満月狸囃子』で高千穂ひづると接吻したところ、少年ファンの親から「これでは子どもをつれていけない」といわれ、それ以来、ピタリとやめていたのだ。それから五年もたっている。

 素顔、上方言葉、丸腰、接吻。そのひとつひとつが、新しい中村錦之助を作るのに必要だった。彼は、ほとんど夜の目も見ずに、それに取りくんだ。いや、彼ばかりではない。父の時蔵は、そのときすでに病床にあったが、たびたび撮影の合間をみて見舞いにくる息子に、まっ先にきくことがきまっていた。「お前、上方言葉をうまく話せるようになったかい」

 その父は、映画が完成しないうちにこの世を去った。「錦之助はそんなひどい悲しみを、カメラのまえでは、少しも見せなかった。みんなから、えらいやつだと思われていたよ」(内田監督談)。しかし彼はある夜、琵琶湖にたった一人でこぎだし、冷たい月光の中で、さめざめと泣いたのだという。

 父はうしなったが、栄誉はえた。映画評論家の津村秀夫氏から話しかけられるようになったし、その他の批評家も、彼の“新しい出現”を十分に評価した。そして作家の武田泰淳氏までが、彼の“素質”を「はじめから認めざるをえなかった」と言っているのである。