秋の大作として大映が力を入れている溝口組。 いわずと知れた“新・平家物語”の高潮したセットを、原作者の吉川英治さんが訪ねました。

 抜擢されて若き日の清盛を演じる雷蔵さんをはじめ、スタッフたちと懇談。いっしょに平家物語にまつわる古跡などを見学しました。

六波羅蜜寺で吉川さんは静かに当時の歴史を語ります。

平家一門の屋敷があった六波羅蜜寺で、心静かに香を焚き、冥福を祈ります。

 当時の六波羅に、清盛をはじめ平家の主だった人々が邸宅を構えていた。そのため、清盛は「六波羅殿」とも呼ばれていたくらいだ。また、鎌倉時代には六波羅探題が置かれ、幕府は京に睨みをきかせていた。いずれにしても、ここはまさに源平盛衰の中心地と言える。

 六波羅蜜寺と言えば、教科書でもお馴染みの清盛像と開祖・空也上人像が有名だ。像は宝物館に安置してある。鎌倉時代に作られたという清盛像は僧形、鋭い目で巻物を読み、空也像は南無阿弥陀仏の仏を吐き出している。

 もうひとつ見逃してはいけないのが本堂脇にある平清盛塚。ひび割れ、苔むした五輪塔だ。その隣には大きな石塔が建っている。歌舞伎や浄瑠璃で名高い阿古屋塚だ。阿古屋は五条坂に住む白拍子で、琴の名手。平家の残党をかばい、琴を弾くくだりは壇浦兜軍記、「阿古屋琴責【あこやことぜめ】」の名場面になっている。


 かつて平家の居館が立ち並んだ六波羅界隈に、今建つこの寺には、清盛、空也、阿古屋・・・弁財天に、観音さま、男性と女性、聖なる者と俗なる者が混在して祀られている。全ての者に共通するのは歴史に翻弄されながらもそれに決して屈しなかったということか・・・。


 

 平安時代、この付近は鳥辺野(とりべの)と呼ばれる葬送地であった。天歴5年(953年)に空也上人が鳥辺野に棄てられた死者の供養や疫病退散を願い、西光寺を建立。上人の死後、寺名が六波羅密寺に改められた。本堂は室町時代初期に再建されたものだが、中世密教の形式を伝える遺構で重文。西国第十七番札所、都七福神の一・巳成金弁才天の寺としても知られている。

六波羅蜜寺
〒605-0933 京都市東山区五条通大和大路上ル東
電話(075)561-6980(代)
参拝時間
◆開門 午前8:00 〜 閉門 午後5:00
宝物館入場料
◆大人・500円 高校生・400円 小・中学生300円
交通機関
◆市バス:京都駅206系統、清水道下車、徒歩7分
     ◆京阪電車:五条駅下車、徒歩7分
◆阪急電車:河原町駅下車、徒歩15分