流星のごとし市川雷蔵

 日本テレビ系「思いッきりテレビ」に、“きょうは何の日”というコーナーがある。有名人や大事件に限らず、巷の出来事を取り上げるケースも多く、興味深い。

 八月二十五日、「きょうは映画俳優の市川雷蔵が・・・・」とアナウンサーが言いかけたので、「彼が亡くなったのは七月じゃないか」と見ていると、「昭和二十九年のきょう、『花の白虎隊』で、映画デビューしました」と続き、ああ、そうだったかと納得した。

 その十五年後の七月十七日、雷蔵は三十七歳の若さで亡くなっている。出演作品は百五十三本。日本映画の黄金期にデビューし、斜陽の色が濃くなり始めたころに夭折。その短い生涯は象徴的でさえある。

 雷蔵の最大の魅力は、端正な容姿にあった。美男俳優はたくさんいるが、彼にはそれを超える品格と知性がある。さらに『眠狂四郎』シリーズに見るように、虚無を演じ切った唯一の時代劇スターでもある。が、番組でも言っていた通り、素顔はまことに目立たぬ人だった。一、二回、立ち話をしたこともあったが、大映・東京本社の宣伝部で課長から初めて紹介された時など、隅の椅子にちょこんと座っている眼鏡の青年が雷蔵だとは、まるで気づかなかった。それが、ひとたびメーキャップをすると、中性的なにおいさえする美剣士に変貌する。まことに天成のスターだった。

 戦前、阪東妻三郎、大河内伝次郎、嵐寛寿郎、市川右太衛門、片岡千恵蔵を剣戟五大スターと呼んだ。長谷川一夫を加えて、六大スターとも言う。女性の人気がトップだった長谷川が六位なのは、立ち回り中心の順位だからである。彼はあくまで二枚目の色若衆で、チャンバラはあまりうまくなかった。

 これにならって戦後の五大剣豪スターを選ぶとすれば、萬屋錦之介、三船敏郎、そして市川雷蔵の三強は動くまい。続いて勝新太郎、若山富三郎だろう。長谷川と同じ意味で大川橋蔵を加え、六大スターと呼んでもいい。月形龍之介、大友柳太朗、近衛十四郎も忘れがたい存在だが、この三人は戦前派である。五人のなかでも別格と言うべき個性の持ち主・雷蔵は『斬る』『大菩薩峠』『薄桜記』で凄絶な剣技を見せたほか、現代劇でも、『炎上』『ぼんち』『陸軍中野学校』『ある殺し屋』などの傑作をものしている。

 私は小著『時代劇博物館』(社会思想社)のなかで、『忠臣蔵』古今のベストキャストを作り、浅野内匠頭役には定評のあった長谷川一夫、片岡千恵蔵をさしおいて、市川雷蔵を据えた。あの、愁いをたたえた気品は、ほかの人には出せない。なお、大石内蔵助は大河内伝次郎。いずれにせよ、雷蔵にはもっと長生きしてほしかった。年齢を重ねた成熟が、その後の映画とテレビに、どのような光彩を添えるかを見たかった。素敵に老いた雷蔵を想像するのも、楽しいのである。三十代の死は、あまりに早過ぎた、と言うほかない。

(「週刊新潮」99年9月16日号より)