歌舞伎臭のない前進的な人

 昭和三十七年、邦画界が下降線を辿っているときに、永田さんから電話をもらって「会ってくれないか」という。そのころは、大映もスター・システムをとっていて、社長は「雷蔵の時代劇を考えてくれないか」というんです。

 てっきり現代劇かと思っていましたが、時代劇となると、ふつうの(時代劇)をやっても面白くない。そこで考えたのが『忍びの者』だったんですな。数日後、また永田さんと会って、実は忍者映画をやりたいと企画を出した。すると社長は「カエルが出る忍者映画か」というんですな。いや、とんでもない、科学的忍術だといって、結局、初めて大映で仕事をしたわけです。

 雷蔵さんとは、この映画で初めて会いましたが、歌舞伎の世界の臭いのない人でしたね。スター特に京都(撮影所)のスターには徒党を組んで威張るという傾向があるが、彼は全然そんなところがなく、民主的な人でした。仕事もやりよかったし、インテリゲンチャでしたな。

 勝新太郎は一国一城の主で、座頭市はオレしかできないという、一種のアグラをかくが、雷蔵にはそれがなく「将来、新劇をやりたい」なんて言ってました。年の若いわりに、前進的な人でしたね。

(「ミノルフォンレコード・日本映画名優シリーズ市川雷蔵魅力集大成」より)