陰の人たちがみた横顔

「坊ちゃん」 お付きの人 浅尾関二郎さん

 以前、私は歌舞伎で女形の修業をしておりましたが、その頃寿海さんのご紹介で坊ちゃんの身の廻りのお世話をするようになりました。女中さんが来る前、京都の家で一時しのぎに、私がお炊事から買物、お洗濯、お掃除までしたこともございましたが、女形だった私の割烹着姿は、まんざら、珍妙なものでもありますまい。でも坊ちゃんは、あの頃のことを思い出して、「関君は、今流行のますらを派出夫のナンバーワンだったよ」などと、お笑いになります。

 もう二十四歳の春を迎えて、立派な一人前の青年雷蔵さんを、「坊ちゃん」などと呼びますと、おかしいようですが、歌舞伎の名門の子息は、父親の生きている間はいつまでたっても「ぼんぼん」であり「坊ちゃん」なのです。でも雷蔵さんも、この呼び名には閉口らしく「オイ、もういいかげんに、坊ちゃんと呼ぶのは止めんかい」などとおっしゃいます。

 この間、松竹の伊吹友木子さんと写真を撮った時にも、伊吹さんまでが、「坊ちゃん」と呼びはじめた時は、大分弱ったらしく、頭をかいておられました。ともあれ、いつまでも変りなく私どもの坊ちゃんであることを希んでやみません。(56年3月発行、「平凡スタアグラフ・市川雷蔵集」より)