浮舟」は、長谷川一夫さんの薫大将、山本富士子さんの浮舟、市川雷蔵さんの匂ノ宮という豪華なキャストで、ロケにセットに衣笠貞之助監督一流の華麗な手法で、けんらんたる王朝絵巻が展開されています。

長谷川さんは御存知のようにこの「浮舟」の出演が済むと、四週間の予定で渡米、帰朝後は五月一パイ東宝歌舞伎に出演される予定なので、ここしばらくは、スクリーンでもお目にかかれないわけです。

忙しいスケジュールもやっと終り、渡米を明日(30日)に控えた長谷川さんを囲んで山本さん、雷蔵さんの三人に「浮舟」出演の感想をいろいろ語っていただきました。

三大スタアはドラット族?

山本 先生お疲れさまでした。これで当分お逢い出来ないんですネ。

長谷川 うん、あなたも、今度は大分苦労したらしいなア。(笑)

山本 はあ、そうなんです。最初は凄く張切ってたンです。あたくし、王朝物というものに、大へんな憧れを持ってたんです。衣裳自体もそうですし、ストーリーも登場人物も雅とでも云うんですか、おおらかでしょう。雰囲気はロマンチックなんですけどさて、その中の人物になってみると、むずかしいことがいろいろありますのネ。

市川 ボクの匂の宮というオ方は大変ドライなんですがネ、それが現代のドライ族じゃいけないんですネ、高貴な人だから、気品を出さなくちゃいけないでしょう、上品なるドライ族というのは、ちょっと見当がつきませんでしたネ。(笑)

長谷川 そう、単なるドライ族やったらいかんのやナ、私は、この間も衣笠先生に云ったんやが、匂の宮は、「あたしの持役でッせ」て

山本 あら、長谷川先生が、ドライ族をですか。(笑)

長谷川 そうや、匂の宮というのは、いわゆる当時の、若い殿上人の、一つの傾向とでもいうのか、快楽主義の権化みたいなモンやからナ。

市川 快楽主義の権化とはヒドイですワ。(笑)

長谷川 いや いや ほんまやで、それは、ただ単に、官能の世界に溺れ切っているということでなく、つまり、女性の心理的な動きを察知するよりも、自己中心に、エンジョイしようという人物や。まアそれには、権力、美貌、若さという強い武器を具備してるのやから、当時の女性間には、大きな魅力、いや脅威であったかも知れん。(笑)それにもう一つ、これは匂の宮というのは、時代的にドライなものだけに、現代のドライな若い人には、反って演り難いのと違うかいな、とも思うのやナ、私なら、若い感じも、その時代的なドライなものも出せると思う。そら、雷蔵君より、ドン・ファンの役やらしたら、あたしの方がウマイと思いますがネ、こらあんまり自慢にならんか?(笑)

市川 いや、オソれ入りました。その点ではいたってウエットな方なんですから。(笑)匂の宮は「恋に生き、恋をたのしむ」といっただけでなしに、皇子と生れながらその環境的なものに、人間的な悲劇を持っている淋しい人、といった感じを出したいと考えています。快楽主義にのみ溺れ、婦女子をナカせるだけが能では、匂の宮が、いや、ボクが可哀相ですものネ。(笑)ドライとウエットの合の子、ドラット族的なものですか。(笑)

山本 ドラット族とは、適切なコトバね、私の浮舟は、少女期から青年期までの、時間的な経過を、絵で見せなくちゃいけにんです。青いリンゴが、次第に色づいて熟して行く・・・。といった感じの。

市川 そしてアダムに喰べられる経過。(笑)

長谷川 そりゃいいナ。なんて喜んではいられん、その青いリンゴを、せっせと育て雷蔵君のアダムに喰べられるのは、私の薫大将だからネ、ヒト事じゃない。(笑)

市川 それじゃアぼくばっかりが良い目を見てるみたいだ。