節度のある男

雷蔵は現代の多くの俳優と違って、良識の士で、その考え方も、どちらかといえば古風なくらいに節度がある。大分前にチャンバラの殺人場面の青少年に与える悪影響について、真剣に憂慮していたのを見たが、最近はまた忍者ブームで、どこかの中学生が修学旅行に京都に来ている時に忍者ごっこをしていて、旅館の屋上から落ちて死んだなどというニュースもあり、「忍びの者」の一連の作品で、このブームを作った御本人としては、心平らかならざるものがあろうと推察される。

雷蔵の思想と、その良識を知る上に格好の材料がある。それは彼の後援会の発行になる「よし哉」というパンフレット(よし哉は彼の本名。太田吉哉)に載せた、彼の感想文である。これは冒頭に触れた豪華な結婚披露の直後、アメリカへ新婚旅行をした、その帰朝談でもある。

−(前略)これだけ国内だけで判断して、それほど気にもとまらず、何となく黙認してきたような事柄でも、一たび国際的な見地から眺める時、まことに空恐ろしいものがあると切実に感じたのでした。いって見れば世界の中における日本、ないしは日本国民のあり方、即ち日本人の考え方なり行いが、いかにあるべきかという問題を痛切に考えさせられたのです。いうまでもなく日本は二千年の歴史と伝統につちかわれた国であり、アメリカはまだ二百年たらずの歴史しか持っていません。ですからアメリカに比べて日本にこそ幾多の優れた美点があってしかるべきであり、ある意味では私もそれを認め、かつ誇りとしています。しかし少なくとも現代二十世紀後半の地球上に生きている国民としては、まことに残念ながら日本人を一流国民と認めることが出来ないのではないかという結論に達せずにはいられない、いろいろのことに出くわして来たのです。

まずアメリカにおける日本ブームということは、これまで幾度となく新聞やニュース等で伝えられて来ましたが、今度の旅行でこの言葉も日本はすばらしい国だ、日本人は優れた国民だということを意味しているのではないことを、はっきりと知ることが出来ました。それは単に日本のある種の製品や家具類があちらの装飾的なデザインの中に取り入れられていることを言っているに過ぎないのです。私の行ったアメリカの代表的な大都市、即ちニューヨーク、サンフランシスコ、ロスアンゼルスなどの何処にも、それ以外に日本ブームを感じさせるものは何一つとして見当りませんでした。

いかにも各都市には日本料理店があり、それぞれに繁昌をみせていましたし、マーケットへ行けば目をむく程の高価ながら豆腐や奈良漬まで販売されていましたが、これはアメリカ人の中でもほんの一部の日本趣味愛好者か、或いは日本びきの人たちが利用する程度で、決してブームと形容するようなアメリカ全般の風潮ではないことが判りました。アメリカに進出したといわれる日本映画もまた同じような立場にありました。

ロスやサンフランシスコには日本映画専門の劇場が出来ていましたが、これも観客の大半は在米邦人か、日本系の市民で、それに極く少数の日本びいきのアメリカ人が入っている程度です。全米の誰も彼もが、こぞって日本映画へ集まるというようなことではありませんでした。この事実は海外における日本映画が、その優れた芸術性や娯楽性の故をもって国際的に支持されているというのではなく、単なる懐しさか、或いは異国趣味的な珍しさだけで、僅かに存在価値を保っているに過ぎないことを示し、日本映画にたずさわる者の一人として大いに考えさせられるものがありました。(中略)