心のあたたかな人

いまから15、6年前私は大映京都撮影所で3人(勝新太郎、市川雷蔵、花柳武始)の青年に紹介された。中の一人はニキビ面に眼鏡をかけていてあまり映画スターにむいているとは思えなかったが、スチールを見るとその顔がナント抜群であった。それが市川雷蔵である。

彼と私のつきあいには、その時、即ち「花の白虎隊」をスタートに「ぼんち」のクランクインあたりまでの5・6年仕事を通して続けられたが、その間いろいろ思い出も多い。

当時私は雑誌(月刊明星)のカメラマンであった。ある日「金閣寺復興と雷蔵」をテーマにグラビア写真を撮ることになり、彼と私は丸太の足場をのぼって金閣寺の屋根に出た。彼は屋根の上にのった金色の鳥にまたがりポーズしてくれたが、高い所に弱い私はカメラを持っているので何かにつかまりたくてもつかまれず、結局ろくな写真はとれなかった。

その後、三島由紀夫が小説「金閣寺」を書き、大映がその小説をもとに映画「炎上」を制作した。主演雷蔵の好演はブルーリボン賞の受賞となり、私は早速彼に会ってお祝いを云い同時に

「金閣寺に縁がありますね」

と言ったら・・・・

「何をいってるんだよ、ひとにあれ程こわい思いをさせときながら本に載ったのはあんな小さい写真一つだったじゃないか・・・・」

と言い出した。彼も余程こわかったんだなと思うとその間三年もたっているのに・・・・とボヤく彼をみながら申しわけないやらおかしいやら・・・・。日頃、他人に文句を言ったり、いやな顔をしたりする事のない彼だっただけに私にとってもすっかり忘れられない出来事となった。

豊かな知性と、高度の教養を充分身につけた現代人であった事は己に衆知のとおりであるが、その反面、古いものの良さをよく知り大切にしていた彼は、単に映画人としてすばらしいばかりでなく、代表的日本人としても実にすばらしい人だった。早逝がおしまれてならない。

あれこれ彼のことを、想い出していると自然に心があたたかくなってくる。

人間市川雷蔵とはそんな男だった。(木村茂、追悼レコードより)