歌舞伎という閉ざされた社会の中の、門閥制度の強さは、1970年代の今日でも、ほとんど異常なものであるらしい。どんなに才能豊かな俳優でも、名門の御曹司でないかぎり、門閥の分厚い壁に頭をおさえつけられ、しだいに影が薄くなっていく。たとえ名門の生れでも、親が早く死んでしまった者には、不幸が見舞う。

市川猿之助、沢村田之助、河原崎権十郎、中村雀衛門、市川門之助等々、七、八年前、次代をになう俳優として売りにだされ、健闘し、相当な実績をあげた彼らは、今、不遇をかこっている。彼らは、現在歌舞伎社会の実権をにぎる数名の俳優の、御曹子が育つまでの中継ぎとして、利用されただけにすぎない。門閥のある彼ら遺児すら、そんな状況に追いつめられてしまうのだから、どれくらい多くの、素質ある無門の俳優が、芽もださずに消えていったことか、考えると寒気がする。

1970年代にして、これだから、竹内嘉雄が歌舞伎社会に入っていった当時は、地獄の腐臭にみちあふれていたと思われる。彼は、その後、九団次のもとから名門市川寿海の所にもらわれていき、歌舞伎役者として、快調なスタートをきれる下ごしらえを整えられたのだが、歌舞伎社会の中で成功をおさめようという気は、さほど彼にはなかったようである。

「海軍兵学校に入りたくてなあ、受けたのやけど、近眼なのではねられましたのや」と、なにかの時に、氏は私に語った。この社会の腐敗と、そこに生きる人間の悲惨の中にいた少年竹内嘉雄の目には、海軍兵学校がいかにもすがすがしい、清潔で透明な男の世界として見えていたのだろう。

長い戦争が終ったあとも、竹内嘉雄は、地獄の辛酸をたっぷりと味い、自分と同じ無門の、才能ある俳優が次々と脱落し、ゲイ・バーのマダムになったり男娼として夜の街に立ったりする姿を、イヤになるほど、見せつけられたに違いない。

竹内嘉雄の尾骨は、そんな不条理を許すことができなかった。武智鉄二氏から、リアリズム演技を叩きこまれたあと、彼は、大映映画の誘いに応じ、ここに、映画俳優市川雷蔵が誕生したのである。

いってみれば、男娼に転落した無門の歌舞伎俳優は、永山則夫であり、みずから道を切りひらいた雷蔵は、森進一である。

運命にずるずると押し流されず、エネルギーを凝集して、流れをせきとめ、おし戻し、定められた運命との戦いに勝った市川雷蔵を、私は尊敬する。だがその彼も、病魔との争いには、無残に敗れさったのだが。

雷ちゃんを思いだすとき、私は、胸の奥底が、自責の念で、ちくちくと痛むのである。

藤井氏と三人で、深夜の街を彷徨しながら、雷ちゃんは片時も仕事のことを忘れていないのだった。徹底した娯楽時代劇で会社を儲けさせる代りに、年に一本は、現代へ肉迫する野心作をやりたいといった。

自分は白ぬりの時代劇の様式的な演劇も、無論できるのだけれども、本質的にはリアリスティックな演技の方が、どうも向いているように思われる、といった意味のことも語っていた。私も、同感だった。「炎上」の主人公を市川雷蔵が演じると最初に聞いたとき、私はいささか冒険でありすぎはしないかと危うんだのだが、完成した作品を観たあとは、あの役は、雷蔵以外、考えられないと思うようになっていたのである。