自称「ガラッ八」“野の花”の味だった雷蔵さん

映画人は“義理に厚い”のが定評だが、雷蔵さんはまた格別だった。いまはすっかり有名になった俳優さんの中にも「雷蔵さんがいたからこそ・・・」といえる人が三人や四人はいる。気にとめたら、それこそ肉親以上に誠意を傾けて面倒をみる人だった。

専属のつき人でも役者でもない仕事関係者の息子さんが、東京のある大学に合格した。ところが経済的な理由で入学をあきらめかけたことがあった。

それを聞いた雷蔵さん

「あの大学はぼくが行きたかった大学だ。是非行ってほしい」と卒業まで学費の面倒をみた。

撮影中の雷蔵さんは情熱のかたまりだった。吹き替えに入る私の動きから一瞬も目を離さず、カット尻を確実につかみ、つなぎも実に正確にとらえてくれた。

そんな雷蔵さんにも不得手な面があり、跳びハネに関しては全くダメだった。視力が0.3しかないのが原因で、近視の人ならほとんどがそうであるように、飛び降りはとくにこわがっていた。殺陣も、刃が正確に見えないのでカンに頼って斬っていたようだ。

おかげで私の出番は多く、その分だけ勉強になったのだから、雷蔵さんの近眼は、私にとっては幸運といえたかもしれない。

「忍びの者」などで、お付き合いが長く、また深かった関係上、仕事が終ると「おい、行くか?」

京の祇園にも何度かお伴した。“私”にもどったときの雷蔵さんは実に愉快でおもしろい人だった。

あの物静かな表情、クールなマスクからはとても想像できない愉快な一面が、雷蔵さんにはかくされていた。声は人一倍でっかく、口がまた人一倍悪い。自称“ガラッ八”。酔うと得意の裸おどりを披露したものだ。

無名から歌舞伎の名門に入った人だったけれど、それで人柄や生きざまを変える人ではなく、いつまでも庶民的で、ついに“深窓の人”にはなりきれなかった。どこまでも飾ることのない“野の花”のような雷蔵さん。

「なぜそんなに早く・・・」

亡くなってからしばらく、私もずいぶん雷蔵さんをしのんで深酒をしたものだ。(「撮影うらばなし」51年4月30日燈影舎発行より)