四十の手習い

馬の話で、私にはなつかしい思い出が一つある。

雷蔵さんの撮影用の持ち馬で、とってもスマートな血統書付きの競走馬がいた。はじめはみんなが乗りたがった。しかし「払い下げだけど、乗ったとたん、全力疾走するそうだよ」と聞いて全員シリ込み。

結局、馬屋さんが乗ることになったが、なにしろ撮影には“攻め馬”も“調教”も“追い切り”もないぶっつけ本番’。

カンが狂ったのか競走馬は大暴れだ。

ロデオよろしく、シリは上げるクビを振る、蹴る、とうとう馬屋さんは振り落とされてしまった。

「特訓を何回もやってるんだろ、次は君だ」ときた。

目の前で振り落とされたのを見ているだけに気乗りはしないが“職業意識”がシリ込みを許してくれない。

私は咄嗟の判断で、飛び乗ると同時に、好きなだけ走らせてやれ−と思った。千メートルくらい走っただろうか。馬は納得したようにおとなしくなった。

以来、私は雷蔵さんの持ち馬にほとんど乗った。

馬は非常に利口な動物だが、反面小心でもある。気を許せない相手とみると、ソッポを向いたり、クビを下げて振り落としたり、急に逃げるように走り出したりする。

だから、やさしく扱ってやるととってもなついて思うように走ってくれる。“人馬一体”などというが、わかるような気がする。競馬などで、強い馬はダレが乗っても走る−というが、果してそうだろうか?

しかし、私たちの場合、よろいをつけて乗ったり、刀をふりかざして疾走させたり、馬上戦を展開したり、腹につかまって走らせたりするので、馬にとっては災難である。

私は馬が好きだが、この仕事をしている限り、馬は私が好きになれないだろう。(「撮影うらばなし」51年4月30日燈影舎発行より)