父と勲章

二十八日 いまや「続・霧隠才蔵」もA・B二班に分かれての撮影となる。今日はB班で天井裏のセットへ出る、ただでさえ複雑な天井裏にいろいろの趣向をこらし、変ったテクニックを用いて撮影するのは、いかにも面白い出来上りが予想されるが、その代り能率の上らない事もおびただしい。

 その上、今日は午後二時から三時まで、組合の時限ストが行なわれる。昼食休み後一時間足らずでまた休憩というのでは、これまた気がのらないものである。それが組合の狙いなのだろうが−。

 五時終了後、久しぶりに高島屋へ買物に出かける。偶然宣伝部のS君と逢う。彼は出産祝のお返しを買いに来たらしい。一緒に店内を物色する。それからさらに二人で店内をあちらこちらショッピングしているうち、閉店のブザーが鳴り渡ったので、あわてて外へ出た。

二十九日 今日は休日。朝寝坊して十一時ごろ起床。朝昼兼帯の食事をすまし、一時に京都ホテルのロビーで、田中徳三監督、脚本の八尋不二さんとで、来年度作品の「掏摸」(大映東京作品、監督弓削太郎、脚本八尋不二、主演本郷功次郎として65年10月公開)の打合せをする。終って家へ取って返し、六時半にまた京都ホテルへ、こんどは親子三人で出かける。

 今日は父寿海の勲三等瑞宝章叙勲の謝恩パーティーが開かれるのだ。一階のパーティー場に、舞妓さんが二十人ばかり来ていて、本当に花の咲いたようなあでやかさだ。娘の尚江もこれにはすっかり気に入ったようである。

 ここではじめて、勲章着用の姿を見たわけだが、ちょっと見ると犬の首輪みたいで、着けるときがいろいろむつかしいそうだ。紋付きとか礼装以外では、つけてはいけないということである。

 今夜のため東京からわざわざ来られた松竹の大谷竹次郎会長が、その挨拶の中で、寿海のように生存中から数え切れぬほどのいろいろな栄誉を受けた俳優は全く珍しいといわれた。私も俳優の一人として、父のような俳優を目標とすべきなのだが、いまのところとても追いつけないような気がする。じぶんとしては、偉大な父を持った事を誇りに思うと同時に、それを重荷と感じる。しかし、父が俳優としてなしとげた偉業に対して、子としての私も尚一層の努力を重ねて、たとえわずかずつでも、近づいて行かねばならない。それを痛感した今夜のパーティーだった。