忘れ得ぬ夢のかずかず

日本映画の誇るべき男優たち

 今回は今までに拾いきれなんだ男優さんたち(それも日本の)に登場してもらおう。

 もう、とりあえずは市川雷蔵だ。私はカツシンと同じくらい雷蔵が好きなのだ。いま雷蔵は再びブームだというけれど。1969年、三十七歳の死はいかにも早い。若くして死んだ雷蔵は美しい盛りの面影だけを残した。

 彼の出演作は百五十四本のすべてにわたって不作はない、といわれる。私は無論、全作品を見たわけではないが、傾向の違う作品をいろいろ見た記憶がある。そしてやはり、雷蔵の好ましさは時代劇だと思ってしまう。

 関西歌舞伎の御大というべき市川寿海の養子、歌舞伎仕込みの、骨格正しい演技力を身につけている。「破戒」や『炎上』などの現代劇も陰影深く消化(こな)す。しかし、それよりやはり私には『新・平家物語』(監督・溝口健二)の清盛が、颯爽としてよかった。私は吉川英治の原作を愛読したので勇んで観にいったのだが、<えーっ、こんな映画、知らんわ>と刮目させられたほど、リアリティにみちた清盛像だった。

 雷蔵の整った面貌はクールな感じを与えるので、冷徹非情、ニヒルといった役どころが適うように喧伝されるが。コミカルな明朗時代劇が結構巧いのである。こういうときの相手役は、嵯峨三智子、あの玲瓏珠のような美貌ながら喜劇に才能ある人で、雷蔵と組んでずいぶん楽しませてくれたものだ。

 しかし私の好きなのは、ホントいうと雷蔵の股旅ものだ。元来、若殿様の似合う品のいい美男の彼だが、一転して風に吹かれる街道やくざの渡り鳥に扮すると、とたんに辛酸の澱を身体じゅうに漂わせる。彼のはかない笑いにひそむ、退廃の影も慕わしい。『鯉名の銀平』(監督・田中徳三)なんて、日本映画名作史には載っていないだろうなあ。しかし彼の、三度笠の旅人姿、切れの長い眼で笠のうちから見あげる凄みには、のちの円月殺法の浪人姿より、ぐっと男の色気があった。

(「ミマン」より)