映画にほれて

聞き書き 田中徳三監督

  雷ちゃん主演で撮った『濡れ髪三度笠』(1959年)を先日、テレビの衛星放送の番組で、妻と二人で見ました。深夜、ブラウン管に映った自分のシャシンに40年ぶりで再会し、いろんな思い出がよみがえってきました。

 <将軍の若君(本郷功次郎)は藩主就任のため、江戸に向かう道中、政敵の差し向けた刺客に度々命を狙われる。事情を知ったやくざの判次郎(市川雷蔵)は若君を弟分とし、危機を切り抜けていく物語>

 雷ちゃんの作品にはいくつかのシリーズがあり、“濡れ髪”は計5本作られました。加戸敏監督の『濡れ髪剣法』(58年)に続く第二作ですが、前作は見ずに撮影スタートさせました。どんな監督でも、人と同じタッチでは作りません。二番せんじは嫌いですから。雷蔵の魅力を自分なりに出そう。そう思っていました。

 監督昇級後、初の本格的な演出作品となった『お嬢吉三』(59年)と同じ傾向の作品で、雷ちゃんの軽妙さを打ち出したつもりです。筋としては、サイレント時代からある。ありきたりの道中劇ですが、古めかしい、オーソドックスなものにはしたくない。現代的な感覚を入れようと心がけました。

 番頭役で出た音楽グループのマヒナスターズもその表れです。狙いが成功したとすれば、準主役の本郷さんのキャスティングも大きかった。本郷さんは撮影開始の数ヶ月前にデビューしたばかりでした。大映は「久々の時代劇新人」と位置づけ、大きな期待をかけていました。彼には既成の型にはまった古めかしさ、臭みがなかった。甘いマスクは今でいうと、ジャニーズ系かな。この作品では殿様とやくざを演じたのですが、どちらもいい意味でさまにならない。そんな新鮮な魅力がありました。雷ちゃんとの息も合っていました。当時、雷ちゃんは結婚前で、半年ほど本郷さんを京都の自宅に住まわせていました。

 雷ちゃんはスター風はふかさないけど、親分肌みたいなところがあって、旅館やホテルから撮影所に通っている本郷さんを見かねたのでしょう。めしを食わせ、車も貸していました。今の芸能界と違い、人気の有無にかかわらず、新人のギャラはとても安かったんです。雷ちゃんは後輩を育ててやろうといと気づかったのかもしれません。二人は私生活でも劇中同様、兄弟みたいでした。それが映像にも反映していて、私も撮っていて楽しかった印象があります。

 本郷さん主演の時代劇はこの後も次々と撮られる予定でした。しかし、「現代劇があうのでは」との会社の方針で東京撮影所に移籍してしまいました。大映同様、京都撮影所で時代劇を中心に撮っていた東映は、このニュースを伝え聞き、「ライバルがいなくなった」と喜んだというエピソードが残っています。それだけ脅威だったのです。でも、本郷さんは東京でさしたる作品を残せず、方針転換は失敗に終わりました。京都にとどまっていたらどうなっていたか。大映にはこんなミスもありました。