映画にほれて

聞き書き 田中徳三監督

  助監督になって、大映京都撮影所で働く人たちが、本当に映画が好きなんだとわかりました。映画作りでメシを食べている強い自負があるから、それぞれがプロ意識をもって徹底して仕事に打ち込んでいました。余談ですが、だから最近、テレビ映画で時代劇の撮影をすると、どうもしっくりきません。衣裳を着ていても、形にならない俳優がいます。重いかつらや衣裳をつけると、動けなくなる若い女優さんもいるほどです。Gパンのようなラフな格好で普段、過ごし、その調子で衣裳を着てみたところで、無理といえば無理な話で、演技以前の問題です。

 戦後すぐのころだって、江戸時代の衣裳で、日常生活を送っていたわけではありません。それでも、大部屋と言われるその他大勢のクラスの俳優でさえ、着付けや動きを、きちんと習得していました。要は、仕事に対する姿勢の差なんです。これ以上は、年寄りの繰り言っぽくなるのでやめますが。

 もっとも、いつでも着物なのはいます。その当時、別の会社の京都撮影所のことです。東京からきた新劇の中堅俳優が、自分ではかまさえつけられず、衣裳部で一切を頼みました。たまたまベテラン俳優がいあわせて、投げ飛ばしたそうです。時代劇の撮影で京都に来ながら、心掛けがなっていないというわけです。

 映画の「助監督」と聞けば「演出の手助けをする人」と思い浮かべるのが当然でしょう。そんな格好のいいものじゃなくて、あらゆる雑用の引き受け係が実態です。作品にかかるとき、ひとりの監督に4-5人の助監督がつきます。上からチーフ、セカンド、サード、フォースと呼ばれ、だいたい役割分担があります。

 チーフはキャリアが豊富で、監督が最も頼りとします。撮影スケジュールの進行や、野外のロケ場探しなども担当します。セカンドは役者の衣裳、サードは小道具の配置、フォースは待機している役者を呼びに行くなど、使い走りです。

 例えば田中家の屋敷のシーンがあり、監督から「カメラはロングで撮る」と指示がでたとします。チーフは台本を読み、立ち回りに10人、エキストラ20人、小道具は机と座布団などと、何が必要かを考え、前日にガリ刷りでスケジュール表を作成し、製作部に提出します。俳優や衣裳、小道具など各部に連絡が回り、それぞれが備えます。当日は助監督がカメラをのぞき、照明の具合を見て、俳優や道具の配置を決め、セットをひとまず完成させた状態で、監督に引き継ぐのです。

 念願がかない映画界に入った喜びで、どんな雑用をしても嫌になったことはありませんでした。ただ、ショックだったのは、助監督の先輩が約40人もいたことです。東大、京大出も多く、戦前から携わる人ばかりです。毎年一人は監督になるとして、順番は40年先。果たしてその日は来るのか。気が遠くなりそうでした。