武智鉄二のすべて
−正月の日生劇場の寿大歌舞伎は、第二回目の自主プロデュース興行によるもので、プロデュースの責任者は武智鉄二氏。したがって武智鉄二氏の本命をみるkとができようという期待も立ち、また本人もそういう決意をみせなければならない仕事だといっていい。武智氏の舞台上の行跡は、古典かぶきばかりでなく、前衛的な仕事でも知られているのだが、古典の演出ではかって関西でかなりの業績をあげたといわれる武智かぶきの演出に期待するところが大きいのが世間の声であろう。−
『勧進帳』も、まず懸命な俳優諸君の意気込みを買いたい。たゞ気負いすぎて、富樫の雷蔵が登場するとともに喧嘩腰なのと、詰め合いになってから、弁慶の杖にせかれて押し合いするのが、四天王の力量が弱いため、腰が崩れる。ちょっとでも突けば、将棋倒しになるだろうと思われるのはいけない。
雷蔵のセリフも、質がよく、よく勉強していて気持ちがいいが、番卒に本職の狂言方を使ったために、番卒がセリフをいうと富樫が食われてしまうのはまずい。夜の『双面道成寺』にも狂言方を使っているが、これは演劇の質と種類のちがいを思わせるだけで、併用するのはまちがいであろう。『東は東』のような全体の統一が狂言調で行われる場合はよいが、今日のかぶきに本職の狂言方の採用は、ゆきすぎである。かぶきの歴史で初期に狂言方が活躍しているからといって、今日では両者の技術の相異は、当時の関係には戻らないのである。またセリフの息のつみ方が、おそらく武智式(?)で、リアルのせいか、それはそれで立派なのだが、リズムにのるべき山伏問答で、のらない。これは先々代羽左衛門の生理的な快感を起させたことを思い出す。弁慶の「親族(もしくは真族)を進め」息の切り方は、シン、ゾクではなかろう。最初の入りで、雷蔵がちょっと仰向いて泣く型が、はっきりしないのは、あまり力を入れすぎたためである。泣くときは力を抜き、気を変えること。こんどは貴人口から入った。また弁慶が、初演のときの弁慶縞でいつたのはよしあしは別として、記録しておく必要がある。(「演劇界」昭和39年二月号、郡司正勝の劇評より)