いままで「眠狂四郎」「若親分」の二本が雷蔵さんの当りシリーズ映画でしたが「中野学校」が三本目となって、「演る立場からしてとても新鮮さを感じてますね。しかし、シリーズを撮るにはもうう少し、スターがほしいです。スターというのは俳優だけのことをいうのではなくて、監督にもいえるんじゃないかと思うね」

単なる名のあるというばかりでなく、あの監督とあの役者が組んだシリーズ映画だから、楽しいんだ、面白いんだというところまでいかなければいけないと・・。

そういう意味では、大映には少し人材が手ぶそくすぎるし、単に主人公がひとりで駆けめぐったところで面白味がない、となげく雷蔵さんでした。

「眠狂四郎」は創造の主人公ですから、狂四郎イコール雷蔵さんというセッコウで固めたようなイメージがファンにこびりついています。

また「若親分」の場合は、海軍士官だった青年がやくざの家に生まれたがために、その後を継ぎとして、悪に敢然と立ちむかう男らしい男。

そして中野学校の場合は、私服を着た軍人ということになるわけですが、どちらかというとサラリーマン・スタイルで、大変現代性に富んでいるわけです。それだけに真実感もわいてきます。

この三種類のことなった役柄をそれぞれ区別して出演しているのですが、「どんな映画に出ても、お客さまが主人公と一緒に泣いたり、笑ったり、そして主人公の行動から何かを感じてくれれば、いうことはありませんよ」

さらにつづけて「しかし、賞など無縁なのだけれど、上等の娯楽映画をつくるのというのはむずかしいものですね」と苦心のほどを強調。

とさて映画の方は、三本のシリーズ作品に、それぞれ意欲と情熱を燃やしていますが、九月一日から二十六日までは恒例の大阪・新歌舞伎座出演が決っています。

「年に一度は大きな舞台をふまなくてはいけないと思う。いわゆるいきぬきの意味でも絶対必要なことです」と力説−。

演しものは昼の部が「眠狂四郎」と舞踊「競華扇」夜の部が「獄門帳」と「切られ与三郎」。出演者は、市川寿海、朝丘雪路、坪内ミキ子、柳永二郎さんたちで華やかな舞台がくりひろげられることでしょう。(近代映画66年10月号)