その後、私たちは雷蔵君に良い役をどしどしつけるようになりました。これはもちろん、雷蔵君の素質の良さが認められたからでもありますが、それ以上に彼の稽古熱心に感心させられたからです。

たとえば、彼はよく稽古場で蓑助君や私が、前の日の稽古の時と違う事を教えると「そこは、昨日と違いますがどちらが本当ですか」という質問をして、私達を閉口させました。そうしてこちらがその理由をうまく納得のいくように説明しない限り、承知しませんでした。こういうはきはきした性質の俳優は、彼と一緒に勉強していた扇雀君や坂東鶴之助君、実川延次郎君らをも含めて、他にはありませんでした。これは彼の芸一筋の熱意と勤勉と頭の良さとを物語るエピソードだと思います。

しかし、彼の性質の善良さはこれまた底抜けで、随分ひどい事を先輩後輩のきらいなく、ずばずばいうのですが、その後で彼が白い並びの良い歯をみせてニヤリと笑うと、誰でも少しも腹が立たなくなってしまうのです。これはいつも悪口を言っては人から憎まれている私などの方が、むしろ見習わねばならなぬところだと思って、私はひとりでおもしろがっていました。

そういうわけで人からの愛され、又腕前もよくなったのですが、雷蔵君は前も書いた通り九団次という家柄の無い役者の子だというので、封建的な歌舞伎社会では、次第に役も貰えないような事になりそうな有様でした。これでは可哀想だと思ったので、私は松竹の偉い人たちと相談して、市川寿海という関西随一の役者に子供がないので、その養子にするよう工作しました。

これはくだらない事のようですが、歌舞伎という封建的な世界で、本当に将来性のある俳優を救うためには、やむを得ない処置だったのです。