人生は長い

 このあいだ中座の廊下で、久し振りに雷蔵に会った。相変わらず新制高校の二年生みたような顔をして笑っていた。頭はあまりいいほうでもなさそうだが、あの新制高校の二年生なみの無邪気さは可愛い。時おり利いた風の口で小生意気なことをいったりするが、その小生意気の程度も、せいぜいお姉さま遊びの子供が母親の口真似をやっている程度で、別に憎めない。

 寿海の養子になって莚蔵から雷蔵と変っても、一向にかわり栄えするほど目立った役もつかず、目立った成績もあげず、まるでパチンコ屋の玉売りのように黙々とやっているところが気に入った。二十歳そこそこの青二才が変に持ち上げられたりすると、鶴之助のような笑いものになる。そんなにアセらなくとも、人生はまだまだ長いのである。

 だが、それだからといって生活の何もかもを春風駘蕩でやられては困る。新制高校の二年生には二年生だけの勉強がある。まず、今のうちに出来るだけ多く見聞を広くしておくこと、先輩の舞台も出来るだけ多く見学しておくこと、舞踊をもっと真剣に叩き込んでおくこと、義太夫のお稽古は絶対の必修科目であること。これでなお時間の余裕があれば、ヴォーカルの発声法ぐらい一つ知っておいても決して損にはならない。

 あのすっきりした柄、あの舞台冴えのする顔、それにあの調子のよさと、三拍子が三拍子とも立派にそろっている。うまく行けば大物になり得る雷蔵の可能性である。いつも眼の色を変えているようなコチコチの野心家は、僕の最も嫌いな人種だが、雷蔵は次の時代の大阪の海老蔵をねらって、さらに黙々と勉強・勉強でゆきたい。

 ああ、それからもう一ついい忘れた。年に一回、レントゲンの胸部撮影だけは必ずやっておいてもらうこと。

(山口広一 幕間53年5月号より