初めて公開する生い立ちの記 本誌独占

一、

 もとより私は、みずから運命論者だとも、また迷信家だとも思っていない。しかし、私の出生当時の状態から、現在あるような市川雷蔵としての境遇に立ち至るまでの数奇な経路を振り返ってみるとき、そこに何か目に見えない、大きな運命の糸に操られてきたような、一種の神秘をしみじみと感じないではいられない。

 まず、私の出生そのものに秘密があった。この秘密を知らされたのは、比較的最近のことだが、それまでの私は既に御承知のように、関西歌舞伎の俳優市川九団次の実子として生い立ってきた。ところが真相は、生れて三ヵ月目のむつきに包まれたまま、九団次夫妻に貰われてきた養子だったのである。

 話は二十数年前にさかのぼる。私が実母と信じて育てられてきた人、すなわち市川九団次の妻はなには実家に七、八人の兄弟があり、その末弟松太郎は意中の女性を見出して、やがて二人は結婚した。

 ところが、松太郎の父親は世間によくある頑固おやじだったらしく、末っ子の松太郎を愛するの余り、自分の意に染まぬ息子の嫁に何かと辛く当り、遂には勝手な難癖をつけて家から追い出してしまった。

 しかし、その時すでに二人の間には、嘉男と呼ぶ男の子が生れていたのである。飽くまでも無情な松太郎の父は、可愛い孫にあたるその嘉男まで、実家へ返してしまえと主張したが、さすがに松太郎はそこまでは忍び得なかった。

 そして最後には、松太郎の姉で既に嫁いでいたはなとその夫九団次との間にまだ子供がなかったのを幸いに、養子として引取って貰うことで一まず話は落着した。もちろん、この赤児が私だったのである。

 もしもそのときこうした事件もなく、私がそのまま実父母松太郎夫婦の許で成人していたら、今ごろはごく有り来たりの家庭で、世間並みの平凡な生活を送っていたに相違ない。

 ところが、いま云ったような、ちょうど新派悲劇にも出て来そうなトラブルが生じたおかげで、私は歌舞伎俳優市川九団次の子として、芸能界で生い立って行くべき、その第一歩を踏み出すこととなったのである。