●なまえ

 時代劇スターは、千恵蔵、右太衛門にしろ、錦之助、橋蔵にしても、挨拶をするときは姓ではなく名前をいうし、人もまた名前を呼ぶ。

 時代劇の凋落と共に、そうした役者が、ひとり去り、ふたり去り、現在の映画界で、第一線に立っているのは、市川雷蔵ただひとりになってしまった。勝新太郎はカツシンであっても出る所へ出れば「勝です」であって「カツシンです」とはいやあしないが、雷蔵の場合は「雷蔵です」であって「市川です」ではサマにならない。

 なんでもないこのようだが、これは役者の体質を知るうえにおいて、けっしてアダやオロソカにはできない。いわゆる新時代劇は、三船敏郎によって代表され、仲代達矢・丹波哲郎から栗塚旭に至るまで、一応は演じはするが、世間では決して彼らを時代劇スターとは思ってもいないし、その反対に、雷蔵が、「陸軍中野学校」や「殺し屋」をシリーズでやっても、「眠狂四郎」や「忍びの者」で作りあげた、時代劇スターのイメージがなくなりはしない。

 つまり雷蔵は映画スターではあるが、それ以前に生まれながらの“やくしゃ”なのである。