あの日あの頃
僕の野球狂時代

 

 ついこの間、ぼくは雷蔵サンダースなる野球チームを結成したばかりだが、過日、中村錦之助君率いる“錦ちゃんチーム”と早速第一回対抗試合を行った。それにつけても思い出されるのは、今から八年ほど前、まだぼくたちが歌舞伎にいたころ、同じ一座で出演したのを機会に、野球チームを作って、東京、大阪の公演たびに、しばしば二人で野球を楽しんだことである。

 当時、錦之助君は吉右衛門劇団のチームを、またぼくは初めて関西歌舞伎のチームを結成して対抗したわけだが、東京では主として浜町グランドを、大阪では天王寺公園や難波の御堂さんの球場を使った。また時には大阪球場を朝早く借りてやったこともあった。

 野球といっても最初はぼくと錦之助君が大阪歌舞伎座に出演中、同じ部屋で仕度をしているうちに、煙草の銀紙を丸めて、えもん掛けをバット代りに振り廻して遊んでいたという、まことに他愛ないものであった。“お座敷野球”に我慢できなくなったぼくたちは、折をみて、屋外に進出するチャンスを待っていたが、歌舞伎座の屋上が大へん広いというので、まず、“バルコニー野球”から始められた。それは囃子方や道具方の人たちを相手にガラスをわったり、ボールが外へ飛び出したり、相当な危険をおかして、しかられながらやったものである。