僕は優等生A

少年期

 小学校時代の僕は、国語や図画が得意で、概して成績も優秀のほうだったと、いまでもうぬぼれています。級長や副級長を何度かつとめましたが、家庭でのわがままが学校へいってもそのままで、優等生ではあっても決して模範生とはいえなかったようです。

 このころの僕は、大きくなったら医者になろうと思っていました。幼ないころ見おぼえたあのメスをもって解剖台の前に立つ姿に、なんともいえず憧れたものでした。しかし家にかえると父は留守がちで、甘えん坊だったからなおのこと、淋しくて東京の歌舞伎座まで毎日のように電話したり手紙をだしたり、お母さんにわがままをいって、それは大変なものでした。

 それでも、父が夏休みなどに、内地の名所はもちろんのこと、とおく朝鮮にまでつれていってもらい、父のかげにかくれて、えらい人たちと逢ったのはいまでもおぼえています。とにかく、戦争のさなかのわりに、のんびりした少年時代をおくりました。