股旅もの


 

 

 

アウトロー活劇としての股旅映画

 

 起源は戦前にまで遡る「股旅映画」の系譜。だが、ここではあえて、雷蔵や錦之助による古典的名作股旅モノの60年代から「木枯し紋次郎」に到るまでの流れに、アウトロー活劇としての股旅映画の魅力を再確認しようと思う。

 

 錦之助の代表作には、加藤泰監督の『瞼の母』(62年)や『沓掛時次郎・遊侠一匹』(66年)、あるいは山下耕作監督の『関の弥太っぺ』(63年)などがあり、一方、雷蔵の代表作には田中徳三監督の『鯉名の銀平』(61年)や、池広一夫監督『中山七里』(62年)、『ひとり狼』(68年)などが挙げられる。

 錦之助演じる渡世人は、堅気の人に接するときは隣のお兄さん的側面を見せ、困っている人がいれば身を乗り出して助ける一方で、相手が渡世人や博徒だと非情な態度で臨む。ましてや相手が仁義に反する者であれば、情け容赦なく叩っ斬る。かたや雷蔵演じる『ひとり狼』の伊三蔵などは、渡世人の中でも一目置かれ、近づきがたいオーラを発しながら生きているクールな渡世人だ。基本的には人を信用していないし、渡世人である自分を人間の屑と呪っている。これはこの時点における股旅映画のアウトローの一つの達成とも言える。ただ、両者に共通しているのが、荒んでいく前と渡世人に身を落した後で、基本的に心情が変わっていない点だ。

 そして、これらの渡世人を否定した形で登場したのが、中村敦夫主演のテレビシリーズ『木枯し紋次郎』(72年)である。紋次郎は、相手がどういう人間であろうと全く他者とは関わり合いを持とうとしないし、その旅にもまったく意味を持たない。殺陣においても剣の技術を持たない者が、なりふり構わず叩っ斬るというリアリティーを生み出し、笹沢左保の原作を元に、総監督の市川崑が提示した新たな股旅像は圧倒的な支持をもって迎えられた。

 その紋次郎を否定しつつ、よりワイルド渡世人を描いたのが、原田芳雄主演、池広一夫監督の『御子神の丈吉 牙は引き裂いた』(72年)である。殺された恋女房の意趣返しに、関八州の親分衆が一同に集まった席に突っ込んで行く丈吉の剣法は、相手を突き殺す、三本指の左手を強力な武器に変え、敵の喉元をかき切る。ちなみにこれも笹沢左保が原作。

 しかし、市川崑監督の『股旅』(73年)に登場する源太(萩原健一)、信太(小倉一郎)、黙太郎(尾藤イサオ)は、アウトローとしてここに名を連ねていいのかと思えるほど斬新なキャラクターだった。まったく貫禄もないチンピラ渡世人の青春。成り上がるためなら父を斬り、堅気の女も売り飛ばす。最もリアリティー溢れる渡世人かもしれないが、これではヒーローとは呼べまい。ある意味、これで股旅映画も辿り着くとこまで辿り着いてしまった感がある。事実、股旅モノというジャンルはこのあたりを境に失速してしまった。

 だが、『紋次郎』で辿り着いた股旅/アウトローの在り方が今なお有効であることは、今回のDVD化で改めて証明されるだろう。そして、近い将来、まったく新しい渡世人が活躍する作品が撮られることを期待したい。

 

   

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