股旅もの


 

 

 

アウトロー活劇としての股旅映画

 

またたび映画の王道、ここに極まれり!

長谷川 伸の世界

 ここでは、股旅モノというジャンルを創造し、数々の名作傑 作を生み出した長谷川伸と、その映像作品について紹介しょう。

 股旅モノというジャンルを確立した長谷川伸、本名長谷川伸二郎は、1881(明治14)年の3月15日、神奈川県横浜市日ノ出町に生まれた。四歳の時に母と生き別れ、八歳の時に一家は破産の末、離散となる(ってコレ、かなり紋次郎と似た生い立ち)。職業を転々としながら独学で文学を学び、19歳で記者になり、その後27歳で小説家になり、ついに38歳で長谷川伸の筆名を使い始める。そして、41歳の時に機関紙「大衆文芸」に股旅モノを発表し、79歳で永眠するまでに数々の股旅小説を書き上げた。

 中でも「沓掛時次郎」「関の弥太っぺ」「瞼の母」の三作が名作中の名作。映画ではそれらの作品の主人公を、それぞれ片岡千恵蔵、大河内伝次郎、阪東妻三郎、長谷川一夫、市川雷蔵らが演じたが、その中でも三作全てで主人公を演じたのは、森の石松、桶屋の鬼吉をスカッとしたキャラクターに仕立てた中村錦之助だけである。

 錦之助主演による長谷川伸モノの第一作『瞼の母』は東映が時代劇路線から任侠路線に移行した時期に製作された作品で、この作品がヒットしたことにより、その後、錦之助主演の股旅映画が次々に製作されていったのである。

 錦之助主演、長谷川伸原作の股旅ヒーローという括りで見れば、戦後股旅映画の最高傑作は『沓掛時次郎 遊侠一匹』だろう。一宿一飯の恩義のために、自分が斬った男の妻子の面倒をみることになった時次郎は、男の妻に恋心を抱く。妻も想いを受け止めながら惚れてはいけないと姿を隠すが・・・という、言わば股旅大恋愛映画である。

 あるいは『関の弥太っぺ』では、川に落ちた幼い子供・お小夜を助け、実家に届けるはめに。だが、名を告げずに立ち去った弥太っぺは、ヤクザ渡世をはばかって10年もお小夜一家に近づかなかった。しかし、弥太っぺを兄貴と慕う箱田の森介がお小夜一家に上りこみ、傍若無人の限りを尽くしていると聞くに及び、その窮状を救うべくお小夜の前に現れるのである。

 長谷川伸の股旅ヒーローは、例えヤクザ家業に手を染めていても、筋の通った気持ちだけは変わることがない。最後に長谷川伸の心情を現わした台詞を一つ紹介しよう。

 「この娑婆にゃあ、悲しいこと辛えことがたくさんある。だが、忘れるこったぁ。忘れて日が暮れりゃ明日になる」

 長谷川伸の人生観が、股旅モノを生み出したのである。 

 

   

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