『眠狂四郎勝負』は、監督を三隅研次が担当した。雷蔵と同じく『新選組始末記』以来、密に付き合っていた三隅のゴリ押しに近い依頼の前に、星川は再び「狂四郎」に挑むことになった。

 この『眠狂四郎勝負』は、原作に描かれている多くの登場人物を切り落とし、一脇役の勘定奉行・朝比奈伊織と狂四郎の関係性を膨らませ、それに伴いオリジナルの設定が加わった。狂四郎のいる吉原裏の浄閑寺は、原作にはない映画オリジナルの設定である。これらは星川の着眼によるものだが、それを促したのは三隅であった。

 だが、「原作を変えてはならない」という約定に、力いっぱい抵触しているため、プロデューサーの辻はダメの一点張りである。が、監督の三隅はやれの一点張りである。両者のケンカは、間に挟まれた星川が責任をかぶるということで一応の決着を見た。それに対し、雷蔵は「あなただけの罪にはしない」と答えたという。

 結果的に、本作は狂四郎のニヒリズムとダンディズムが余すところなく描かれた。また一作目に続いて美術を担当した内藤昭は、監督が三隅ということもあり様式的なスタイルを前面に押し出した。

 二作目の『勝負』になると、いわゆる狂四郎のイメージが大分出てきた。(中略)一作目に比べて、セットは全体的に単純化してあるはずです。意識して黒バックを多用したりして。これはやっぱり三隅さんの演出だからです。三隅さんだと様式が通用する。だけど徳さんだと通用しないのね。よくいえばリアルな演出法で、あんまり作らない。その点、三隅さんはワンカット、ワンカット作りますから。(徳間書店刊「市川雷蔵とその時代」より)

 と、語る内藤は、その後も『炎情剣』『女地獄』の二作でも美術を手がけている。

 さまざまな側面から「狂四郎」の本質に迫るべきアプローチを重ねた結果、完成した映画に対する評価は上々。原作の改竄については、柴田錬三郎がほぼ黙認という形で、ことなきを得た。

 そして、続く第三作『眠狂四郎円月斬り』(監督/安田公義 脚本/星川清司)を経た第四作の『眠狂四郎女妖剣』で、ついに雷蔵の狂四郎は、のちに続くフォーマットの完成を見るのである。

 実際のところ、作品自体の出来はともかく、第一〜三作の興行成績は奮わず、これでヒットが出なければ『眠狂四郎』は打止めというところまで追い込まれていた。

 『女妖剣』の監督は、池広一夫に白羽の矢が立った。池広と雷蔵は、この時すでに『沓掛時次郎』『中山七里』などの股旅もので傑作をものにしており(これがのちの『ひとり狼』につながる)、雷蔵との信頼関係も含め、不振が続くシリーズのテコ入れのために、上層部の思惑で池広が監督に選ばれたことは明白である。

 池広は、原作の全てに目を通し、週刊誌の誌面にして4、5ページの短いエピソードの中に、剣技、エロティシズム、人間不信、女性不信、神への不信など、さまざまな要素が必ず盛り込まれていることに着目。あえて、一本の物語としての整合性は捨てても、その場その場の見せ場をつなぐことで、面白さを前面に打ち出す方法をとる。

 また、当時人気絶頂だった「007」シリーズにあやかり、ボンド・ガールズならぬ「狂四郎ガールズ」を登場させ、従来以上の色気の獲得に務めた。その点では、当時清純派として人気を博していた藤村志保をも、お色気要員として投入した心意気はよしとしたい。

 しかし、本作がシリーズ全体に対して何より大きく貢献したのは円月殺法の描写、そこに尽きよう。たまたま目にしたテレビコマーシャルに想を得たというストロボアクションは、それまでただ刀を回すだけで視覚的説得力に乏しかった円月殺法に、技としての実体を与えたのである。

 だが、思いのほか撮影は困難を極めた。刀のみがダブればいいところで、体が揺れれば狙いの通りの映像にはならない。ゆえに、当初は雷蔵の体の後ろに突っかえ棒を立て固定したのである。それさえもすぐに慣れ、そのうち固定を必要としなくなった雷蔵は、さすがだというほかないのだが、以降、円月殺法は『女妖剣』に準じ、ストロボアクションで描かれることになる。

 興行的に、『女妖剣』はシリーズ初の大ヒットを飛ばした。ギリギリの瀬戸際で持ち堪えたのである。以降、続々と新作が作られたが、雷蔵が亡くなった69年の第十二作『眠狂四郎悪女狩り』で、シリーズは残念ながらその幕を閉じた。

 言い出しっぺの田中徳三も『女地獄』の出来について「最初オレが考えとった、雷ちゃんと相談しとった狂四郎ができたなと思いました。あれで初めてね、雷ちゃんも狂四郎になったな、自分でつくったなという気がした」と語っている。いろんな意味で、雷蔵=狂四郎の歴史は『女妖剣』なくして成立しなかったといえよう。